「あーこれダメじゃん」![]()
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という反応。
でも「ダメじゃないかも」
と、その断罪を疑ってみる。
昨日はダメでも、今日はダメじゃないし。
本当は昨日もダメじゃなかった。
ずっとダメじゃなかったのだ
。
それはただの考えだったのだ。
・・・・・
Hummingcafeでの「公開セッション」や、このオンラインコミュニティの感想のシェアです。
感想、いつもありがとうございます。
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さん
公開セッション、ありがとうございました!
セッションを受けて、爆弾が何個も投下されたような・・私の中で何か大きな山(のひとつ)が動いたような感じです。
もちろんまたすぐに自我が暴れて、
いつもと違ってくるのは、
これまでは自我と一体になって頑なにキューっと縮こまっていた心
・クレクレ君
(人には何も与えずにゲットすることばかり考えている)
・私は人を拒絶している。
(これは最初、自分で言ってて?でした笑)
・
(だから自分が空っぽ)
改めて先ほどの余韻の中で、
そしてそれを責めることなく、ただそうだったんだ・・・
これが赦しということなのですよね。(人、状況など問題だとと思うことを赦すのではなく、
また
・動揺を楽しんでいい
・取り繕わなくていい
すぐ自我に飲み込まれパニックになってしまうので、
そしていつもながら、
・取り繕わない→不動の安心感
・自己防衛の幻想を直視→中毒から抜ける
追伸
最近、相変わらず自我が騒いでいる時に、気が付いて緩んでいると「その自我の騒ぎには実態がない」
あれだけギャーギャ―騒いでいたことに、
こうやって少しずつですが、無意味な解釈や思い込みから外れて、
追伸の追伸
このみっともない情けない「私(自我)」を他人に絶対さとられたくない、という自己防衛がありました。
が、「自我はみんな同じで、そうじゃ無いっていう人がいたら、分離してないからここにいない」と聞いて、心底安心し緩みました・・笑
公開セッションでは、自我の機能と全体性の機能を、コミュニティの皆さんと共有しているという、言葉にできない不思議な感覚に見舞われます。一対一でのセッションの時とは、また違った感覚で、ほどよい緊張感も功を奏しているように思います。このコミュニティの場で、一緒に自我を見てもらうことで、自我を人前にさらすことの恐怖の向こうに、見えてくるものがたくさんあります。
さん
アーカイブ見ました!すごく良かったです!
あー、 私が悩んだりしてることとめちゃ重なる部分があるから共有してくれたんだなーと思いました🍀
'自分は愛されるに値しないから自分で人を拒絶している'
この言葉に涙が勝手に出ててきました。
💡気づき
⚫︎愛想よくしなくていい=(自分自身に優しくしてあげよう)
⚫︎気に入ってもらう、認めてもらう必要はない=(自分が自分のことを気に入ってあげよう)
⚫︎そのままでいいんだ=(素直な自分でいることを許そう)
取り繕っていることに、ただただ気づく。
動揺を素直に楽しむ。
でも、それもジャッジしない。
気づきの感想です。
さん
今月のアーカイブも「そうだよね〜、みんな一緒だよね〜」と思いながら見ました。
日々の出来事をワークしてみると、「自分の価値」を守ろうとしていたり、自分を貶めたかと思えば特別性に片寄ってみたり、ほんとに忙しいですね(笑)
これまでの私は、聖霊のまなざしも、わかったようでわかってなかったんです。こんな人間の私が、ありのままに人を見ることなんて出来ないと思い込んでいました。
でもこうして紙とペンと問いのワークをすることで、純粋な疑問がわいて「価値ってなんだろう?」とか「良い悪いってなんだろう?」とか「何が正しくて、何が間違ってるんだろう?」「何が損で、何が得なんだろう?」とか本当はなにがなんなのか、私にはわからないことばかりだと実感しますね。
そして、私の勝手な思い込みや思考が、もしなければ?と繰り返すことで、聖霊のまなざしというものがだんだんと実感できてきて、「私」と「聖霊」はかけ離れた存在だと思い込んでいたものが、少しずつ距離が縮まってゆくような、そんな感じがしました。
密着していた「私」と「自我」の間にほんの少し隙間ができてくるような?
「あの人が悪い!」「あの言葉が!、あの態度が!」と相手に向けていたものを、すべてひっくり返していくと「ぜーんぶ私が間違っていました😆」なんだ!全て私やったんかい!
そして、それは「この世界や相手がなければ気付くことができませんでした」と、本当にそう思えるようになってきました。
私も聖人になりたいわけではないし、コース学習者やコース信者になりたいわけでもないんです。
「ワークブックが終わったら人生変わるらしいよ」と言われたこともあるけど、そういう目的で始めたわけでもなくて
ただ、私が求めていたものがここにある!そんな感じでした。
そして、今月のアーカイブで印象に残ったのは、私たちはすぐ忘れてしまいますけど、『誰かやなにかを「裁いている」ということ自体が自我なんだ』というところです。
この世界の正しさを使って、「正しい私」が「間違っている相手」や「なにかを正す」、「判断する」ということをよくやってしまいますが(笑)そうやって思考で裁いてしまうことがすでに自我の働きなのだということ。
そして、そうしてしまった自分をまた裁くことなく、優しく「それは本当?」と見てあげる。
この世界は幻想で、夢の中で、そもそもなにも起きていないし、罪人もいないのです。
なので、起きていないことを赦すというのはできないんですもんね(笑)
誤解したコースの解釈だと、「納得いかないけれど、罪人はいないのだし、しぶしぶ赦してあげましょう(上から目線)」ということになりがちです(笑)
でも、考えを書き出し、「それは本当?」と問いかけることで、自分の思い込みや信念、解釈をゆるめて、ゆるみに気付くことが赦しなんだなぁと改めて思いました。
思考は流れるままにしておけばいいのでラクですね。私もすごく自分の正しさにこだわってしまうところがあるので、そんな時は自分に優しくしてあげようと思います💕
自我の働きはみんな一緒なんだから大丈夫!というのもホッとしますね。ブラックな私がいても安心(笑)
この2か月間は、せっかくだからどんどんひっくり返そうと思いつくままにやってみましたが、とてもなんというか「実感する」という感じでした。
わぁ〜、今まで全部私が間違ってたんだ!とか自我との密着感が少しゆるんでそこに空白ができる感じとか、これは初体験でした。
コースをちゃんと学ぼうとして、いろいろとノートに書き留めたり、YouTubeでコース関連を見たり、JACIMサイトを見たりもしてきましたが、紙とペンと問いでの思考のひっくり返しが1番効果的ですね😆この問いかけを死ぬまでぼちぼち続けていこうと思います。
さん
Humming cafeの公開セッションは、「これ、自分ごとだな」と感じることが本当に多いです。
逆に、その人を攻撃的な目で見ている時は、自分の中にもあることのはずなのに、内容が入ってこないです(ある意味、自分の反応に気づけるので、それはそれで良きなんですが)
そういう意味で、Humming cafeの顔出しなし・匿名で参加できるのも、私にはすごくよかったです。
人そのものに意識が向かないので、いろんなことを感じたり、気づいたりできる場でした。
「今ここ」に意識を向け続けるって、案外難しいんだなぁというのも、今回の気づきでした。
さん
オンラインでの公開セッション、仕事や人間関係など、毎回私とほぼ同じ悩みの方ばかりで、すごく勉強になりました😳
まだチャットにコメントするのに勇気が・・、少しずつ慣れていきたいです!
🌹さん
今日もありがとうございました。
私が、守ろうしている勝手な信念と定義は、『私は間違った考えを持っていると思われている』でした。
その信念と定義を手放したら『誰も居なくなる。でも、それが心地よい』というフィーリングに!
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【7月のご案内】
★ワーク会(熊本) ➡ ●
日程 7月12日(日))9:30~
場所 龍田公民館(和室)
参加費 5,000円
★京都のワーク会が10月9.10.11日に決まりそうです。
会場の手続きができましたら、あらためてお知らせ致します。
どうぞよろしくお願いします。
★Hummingcafe ➡ ●
7月のテーマ
「実相コミュニケーション」
『あなたが私的な想念をもち、それらを持ち続けたいと思っているときに、どうして一切を受け入れられるだろう。私的な想念を保持できるようにする唯一の方法は、聖なる瞬間を聖なる瞬間とする完璧な親交(コミュニケーション)を拒否することである。(奇跡講座・テキスト 第十五章 Ⅳ.7 1~2)』
・・・
この前見た映画のセリフに「あなたといればいるほど孤独になるの( ;∀;)」というのがありました。
本当なら、誰かといることで孤独がなくなるはずなのに・・・。
でも、これはあるあるですよね・・。
ですが、私たちは普段、身近な人たちと本当に「コミュニケーション」をしているんだろうか?
もしかしたら、無意識のうちに、対話という名の「取引(トレード)」「かけ引き」になっているのかも。
ということで、次回のHumming cafeでは、真のコミュニケーション=聖なる瞬間についてのワークやセッションのひとときになればと思います。
①7月11日(土)20:00~
②7月26日(日)9:30~
※ この日程で参加が出来ない方も、アーカイブで視聴できます!
お問合せ、ご参加お待ちしております。