18歳で大学に入学した時と48歳で学び直しのために大学に入学した時では、学習効果に大きな違いがある。40代の方が総合的に学習効果が高いと実感している。

その理由は大きく分けて3つある。1つ目は、40代の方が人生経験が豊富で、学ぶ内容を現実世界と結びつけて理解しやすいという点だ。18歳の時は、社会に出た経験がないため、大学で学ぶ知識が抽象的で現実味を帯びていないことが多かった。一方、40代の今は、社会人として長年働いた経験から、大学で学ぶ理論や知識が実社会でどのように活用されるのかをイメージしやすく、より深く理解することができる。

2つ目の理由は、40代の方が自分で学ぶ目的や必要性を明確に認識している点だ。18歳で大学に入学したときは、学びたいから進学したと言うよりも、漠然と良い就職先に就職したいという思いから大学に進学した。そのため、単位取得が目的となっており、「講義を受けること=学んでいる・勉強している」と勘違いをしていた。しかし40代で改めて大学に入学してみて感じるのは、自身のキャリアアップや専門性の向上など、明確な目的意識を持っている。目的意識が明確であれば、学習へのモチベーションも高く、より能動的に学ぼうとする姿勢が期待できる。

3つ目の理由は、40代の方が持っている知識や経験を新しい学習と結びつけやすいという点だ。18歳の時は、社会に関する知識や仕事の経験がほとんどないため、新しい知識をインプットしても、既存の知識体系に組み込むことが難しかった。一方、40代では、長年の社会人経験で培った知識やスキルがある。新しく学んだ知識を、既に持っている知識や経験と関連付けて理解することで、より効果的に学習を進められる。

以上のように、40代での学び直しは、人生経験、明確な目的意識、既存知識との結びつきやすさなどの点から、18歳で入学ときするよりも高い学習効果が期待できると言える。ただし、40代は家庭や仕事との両立など、18歳の学生にはない課題も多い。その点をどう乗り越えていくかも、40代の学び直しでは重要なポイントだ。


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学びを深めるためには、知的刺激が得られる仲間が重要だと感じている。自己肯定感が高く、一般教養を備えた人々と交流することで多様な視点から建設的な議論ができ、新たな気づきや発見につながるからだ。

自己肯定感の低い集団や一般教養に乏しい環境では、建前論や表面的な意見交換に終始しがちである。このような集団では、常に周囲の反応を気にしながら発言するため、本音で語り合うことが難しくなる。また、一般教養の欠如は、物事を深く理解し、多角的に分析する力を弱める。知識の幅が狭いと思考の視野も狭くなり、議論が「良い・悪い」などの二元論に陥りやすくなるのだ。

例えば、哲学や歴史、文学などの幅広い知識を持つ人々が集まれば、議論のテーマについて深く掘り下げ、多面的に考察することができる。異なる背景を持つ人々が自由に意見を交換することで、固定観念にとらわれない新しいアイデアが生まれるかもしれない。また、自己肯定感が高い人々は、自分の意見に自信を持ち、他者の意見にも耳を傾ける姿勢があるため、建設的な意見交換が可能になる。

したがって、学びを深めたい人は知的刺激を与えてくれる仲間を見つけることが大切だ。自己肯定感が高く、一般教養を備えた人々が集まる場に積極的に参加し、本音で語り合える関係性を築いていくことが重要である。そのような環境で交流を重ねることで、個人の成長と集団の発展が期待できると考えている。


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科学技術の発展により、人類は計り知れない恩恵を受けてきた。しかし同時に、一般の人々から様々な理由で科学への不信感や疑念を抱かれることもある。この記事では、研究不正行為を除いた、科学が信用されない主な理由を考察する。

まず、科学的知見の不確実性が挙げられる。科学は絶対的な真理を追求するのではなく、現時点での最良の説明を提示するにすぎない。新たな発見により、ニュートン力学から量子力学への移行に見られるように、既存の理論が覆される可能性は常にある。このような暫定的な性質が、科学への不信を生む一因となる。

次に、専門家間の見解の相違が問題視される。同じ科学的データに基づいていても、研究者や識者間で解釈や結論が分かれることがある。気候変動問題における温暖化予測の違いなどがその例だ。このように一致した見解が得られない場合、科学の信頼性自体に疑問が投げかけられる。

また、科学と価値観の対立も看過できない。科学的知見が、一部の人々の価値観や宗教的信念と対立する場合がある。生命の起源をめぐる進化論と創造説の確執などが代表例として挙げられる。このジレンマが、科学への不信につながっていると考えられる。

さらに、科学技術の副作用への不安があげられる。科学技術の発展は必ずリスクを伴う。原子力発電の安全性、遺伝子組換え食品の影響、人工知能(AI)の行き過ぎた発達などへの不安から、科学自体への不信感へとつながることも少なくない。

最後に、科学の難解さと一般化の困難さが問題となる。科学は高度に専門化されており、一般の人々にとって理解が難しい側面がある。科学者による難解な説明は、科学への不信感を生む一因となり得る。誠実な科学コミュニケーションの重要性が指摘される所以だ。

このように、科学は本来、人類共通の知的資産だが、様々な側面から不信感や疑念を持たれる可能性がある。しかし同時に、科学なくしては現代文明の発展もあり得ない。科学コミュニケーションを通じ、一般の人々に正しく科学を理解してもらうことが何より重要であると考えられる。科学と社会の健全な関係が望まれる。


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