すべてを前向きに捉えるあり方を「ポジティブ教」とするならば、俺の思想は「ネガティブ教」である。
では、ネガティブ教とは何か?
仏教のスローガンの一つに、「一切皆苦」というものがある。
これは、人生というのは、苦しい事以外に無い、という意味である。
日蓮の言葉にも、「善からんは不思議。悪からんは一定(いちじょう)と思え」という言葉がある。
「人生というものは、辛く、苦しい事しか無いのだ。」
というところから出発するならば、不幸な事が生じても覚悟が出来るし、良い事が起これば、感謝の思いが沸く。
これが仏教思想の基本であり、そしてこれこそが「ネガティブ教」である。
大学生が卒業し、新しい会社に入る。
自分がアレほど調べて入った会社なのだから、きっと良い会社に違いないと思って入社するのだろう。
だが、そういうのは希望的観測であり、裏切られる可能性が極めて高い。
会社に入社する時は、頭から「ここはブラック企業である」と思っていたほうが、その後、さまざまな事に対応しやすい。
また、結婚相手に対しても、最初に過度な期待を相手に対し、持ってしまいがちであるが、これは大間違い。
結婚する時、「この人はきっと最低の人物に違いない」と思っていたほうが、その後の動揺は少ない。
東京は、近いうちに大地震で壊滅する。
とにかく、そのように、後ろ向きに、後ろ向きに、最悪の状態を想定していたほうが、色々と対策も出来るし、心理的にもパニックにならない。
実際、原発安全神話によって、我々(特に福島県民)はヒドイ目に遭っているではないか。
原発を稼動する以上、「これはとんでもない危険なものなのだ」という覚悟は、持っていなければならなかった。
世界的ベストセラーであるD・カーネギーの「道は開ける」の中にも、「最悪の状態を想定せよ」とある。
最悪の状態を想定していたほうが、生き延びる可能性が高いのだ。
精神的に、強く、たくましくいられるのだ。
傷つきやすい人は、人を信用しやすい人だ。
人を信用するから、裏切られ、騙される。
最初から信用しなければ、傷つかずに済む。
「信じられぬと嘆くより、人を信じて傷つくほうが良い」
という言葉があるが、傷つかないほうが良いに決まっている。
また、「信じられぬと嘆く」というのは、日本語としておかしい。
「嘆く」というのは、信じているからでしょう?
信じていなければ、嘆かないのだから。
俺流で言うならば、
「人を信じるな。傷つくな。」
が正しい処世術である。
上司は部下を信用してはならないし、部下は上司を信用してはならない。
タレントは、ファンは常に離れるものと思え。
そして、売れなくなれば、簡単に事務所から切られると思え。
それは事実でしょう?
ネガティブ教は決して極端論ではなく、事実なんだ。
むしろ、「夢は必ず現実になる」みたいな、ポジティブ教の考え方のほうが、非現実的なのです。
とは言え、俺は別に、努力するなとか、夢を追いかけるな、とか言うつもりはない。
目標を掲げ、必死に努力すれば良い。
けれども、それが叶わない可能性も、常に考えておけ、という事だ。
十年後、二十年後の事を見据え、対策を打たねばならない。
安倍内閣は今、調子良い感じだが、過度な期待をしてはならない。
むしろ、国をメチャメチャにする可能性も考えておいた方が良い。
ならばどうするか?
結局、自分を護るのは自分だけ、という話になって来る。
投資をやっている人もいると思うが、上がると思うから株を買う。
だが、下がる可能性だってある。
下がる可能性も念頭においた上で、上手に買うというのがリスク管理なのだ。
みなさんは、明日、交通事故に遭います。
そのように言われると、注意するでしょう?
いつだって、交通事故に遭う覚悟で、道を歩かねばならない。
いつだって、家が火事になる可能性を考えておかねばならない。
それは決してビクビクして生きるという事ではない。
むしろ、堂々として生きるためだ。
「人間万事塞翁が馬」ということわざもある。
どんな事があっても、心を動かさない事が、「悟り」なのだ。
日蓮も八つの風という事について語っている。
「賢人は、八風という人の心を煽り立てる八つの風におかされることがないからこそ、賢人と言われるのです。その風とは、利(リ=うるおい)・衰(スイ=おとろい)・毀(キ:やぶれ)・誉(ヨ:ほまれ)・称(ショウ:たたえ)・譏(キ:そしり)・苦(ク:くるしみ)・楽(ラク:たのしみ)の八つです。すなわち、自分が潤っている時にも喜んで有頂天にならず、逆に勢いの衰えている時にも嘆かない(同様に、誉められてものぼせず、悪口を言われても自信を失わず、称えられても浮つかず、批判されても自分を失わず、苦しい時に頑張り、楽な時に心を引き締める)ということです。この八風に心がおかされない人を仏天は必ず守って下さいます」
http://www.nichiren-aomori.net/houwa/h2105_yokoyamakoushin/index.html
どんな事があっても、泰然自若としている。
堂々として落ち着いている。
良い事があろうと、悪い事があろうと、大きく心を揺さぶられない。
それが仏教、そしてネガティブ教の目指す境地だ。
ついでに書いておく。
よく、ポジティブ教の人は「泣き言を言うな」という。
「愚痴を吐くな」と言う。
だが、泣き言を言わず、愚痴も言わずでやって行けるほど、人生は甘くない。
どんどん泣き言を言え。
愚痴を吐け。
「会社辞めたい!」
「死にたい!」
「もうおしまいだ!」
結構、結構。
どんどん口にしなさい。
死にたいと口にしながら、やっと人は道を這うように生きて行けるのだ。
空海にもこういう言葉がある。
「哀(かな)しいかな、悲しいかな、復(また)哀しいかな。悲しいかな、悲しいかな、重ねて悲しいかな。」
辛い、苦しいと口にするのは良い。
(むしろ、それを受容できない社会の窮屈さのほうに問題があると俺は考える)
だが、リストカットはやめておけ。
夜回り先生こと水谷修先生は、「生きたいからリストカットするのです」と話していたが、もし、失敗したら、取り返しがきかない。
第一、グロい。
毎日、毎日、泣き言を言う。
ため息を百万回吐く。
そうしながら、這うように生きて行けば良い。
そして最後に、自分を誉めてやればいい。
「よく生き抜いた」と。
これがネガティブ教です。
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