最近、電車やバスの中で、参考書を広げる高校生や大学生を目にするようになった。
電車はわかるが、バスというのは揺れるので、あまり本を読みたいという環境ではない。
それでも、わざわざバスで勉強するというのは、よほど、必死なのだろう。
今、大学を卒業しても、定職に就けない者が2割いると言う。
定職についたとしても、半年、一年で退職してしまう者も少なくない。
こうした現状から見るに、高校生、大学生も緊迫感を抱いているのだろうと思う。
特に北海道の場合は、厳しい雇用情勢を抱えている。
まず、北海道は公務員天国と言われ、公務員でなければ幸福が保証されない、と言っても過言ではない。
年々、不況とともに、その傾向を強めている。
札幌の中心部に行き、石を投げると公務員の予備校にぶつかる。
公務員以外、つまり民間では、まともと言われる企業は、数えるほどしかない。
1.北海道電力
2.北洋銀行
3.北海道新聞
4.JR北海道
5.北ガス
6.放送局
以上だ。
つまり、この限られた就職先を、学生たちは奪い合っている。
熾烈なイス取りゲームである。
しかしだな。
俺はバブル世代なわけだが、俺らの学生の頃は、勉強なんぞ、しなかった。
勉強しているのは、理系の連中だけだった。
俺らは遊びの事しか、頭になかったぞ。
就職活動を、年明けから始める者も多かった。
俺もそうだった。
もちろん、今の学生のように、人生設計を立てて、手堅く生きて行く事を考えている者もいるが、「いかに遊んで暮らすか?」こそが、俺らの世代のテーマだった。
だから、勉強以外にも、さまざまなものに関心を抱いた。
無茶なのは承知だ。
今の社会情勢は厳しい。
しかしだな。
勉強し過ぎなんじゃないか?
そんなに勉強してどうなってしまうのだろう?
たとえば近年の「国家試験の難化」という事が言われる。
みんながキャリアアップを目指して国家資格を受けようとするから、どんどん、試験問題が難化している。
就職試験も同じであり、みんなで勉強したら、どんどん、難しくなる一方なんじゃないだろうか?
TPP賛成論というのがある。
これは、内需型の経済だと、どんどん企業の過当競争が生じる。
だから、世界をマーケットにして、日本の企業はやって行くしか無いのだ。
そのほうが、内需、内需でやって行くよりも、ラクなんだ、という考え方である。
学生が特定の就職先に向かって群がるというのは、これは結局、どんどん状況を厳しくさせている魔のスパイラルなんだな。
多様性が無いと、こぼれ落ちる人も増えるよ。
この辺を、学生当人は無理なので、大人社会が考えてあげなければならないんじゃないだろうか?
俺の高校生のバスの中など、本当に馬鹿っぽい高校生の巣窟だったが、今のバスに乗っている高校生は、実に神妙である。
勉強せずにはいられないのだろう。
どこが「ゆとり世代」なのか?
彼らの勉強しているものを、偏差値教育で揉まれた我々大人が見て、どれほど理解できるというのだろう?
彼らになんとか「ゆとり」を与えたいと、俺は思っている。
人間というのは、終身雇用制にしがみつき、大過なく生涯を終える、というのは、あまり楽しい生き方ではないと思う。
やはり、仕事は大変だし、正直、遊んで暮らしたいだろう。
だから、自分の趣味を仕事にしようと模索したり、自由度の高い仕事を選ぶわけだ。
それが結果として社会の多様性を生み出したり、新しいカルチャーをもたらすという事につながる。
このまま、日本社会がずっと行くと、どうも、どんどん閉鎖して行くような気がする。
それでいて、競争だけが激化して行く。
仲間同士が潰し合う社会だ。
うむ。
やはり、これじゃあ、いかんな。