貧困道 | 真実は人を幸福にするか?

真実は人を幸福にするか?

桑田義雄が、うかんだり、もぐったりするブログ

誰だって貧困など嫌だ。
だが、一歩間違えれば誰だって貧困になってしまい、一度、貧困におちいってしまえば、簡単には這い上がれない。
だからこそ、貧困道なのだ。
人生で、何か歯車が狂ってしまい、嫌々ながらも、貧乏になってしまった者のための貧困道なのだ。

貧困道の心得は、貧困を自分の無能のせいだと思わぬ事が第一。
パイそのものが小さいのだ。
小さなパイを、必死で奪い合っているのがこの日本なのだ。
だから、よほど、運が良くなければ、口いっぱいに、そのパイをほお張ることは出来ないのだ。

夢も才能も無いがために、役所や普通の企業に就職し、冒険心が無いがために、転職せずにそのまま居座り、たまたまこの不況に至って、最もおいしい立場になってしまった。
そんな「たまたま」な人が、冒険し、失敗した我々を「自己責任」と非難しているのだ。

貧困者だって、色んな貧困者があるだろう。
中には、非難に値する貧困者もあるかも知れぬ。
だが、大半の人は、ちょっと席を立ったすきに、他の人に席を奪われ、座る場所を失ってしまった人たちなのだ。

たまたま席を立たずに座り続けている人は、それが己の能力であると勘違いをしている。
そして、単に「正規雇用者」というだけで、「非正規雇用者」とは天地雲泥の待遇を受ける。

これは社会のゆがみのもたらしたものであり、必ずしも、貧困者だけの責任ではない。

だから、必要以上に己を責めるな。
むしろ、もっともっと、我々は、社会に変わる事を求めても良い。


そして、貧困道には掟(おきて)がある。
それは、貧困者同士が争わない事だ。

既得権益の受益者たちは、貧困者同士が争い合うように仕向ける。
怒りの矛先を、仲間同士に向けさせる。
そんな手に乗ってはならない。
あくまでも矛先は、必要以上に既得権益を貪る者に向けよ。

貧困者同士は協力し合わなければならない。
貧困者同士が、軽蔑し合ってはならないのだ。
貧困者同士が協力し合うとき、そこには心の豊かさが生まれる。

自分だって貧困者なのに、結婚相手は年収五百万円なきゃダメだ、とか、そういう発想をしている以上、その人の心に豊かさが宿る事はない。


俺たちは貧困を抜け出したい。
いつまでも、貧困などまっぴらだ。
だが、自分ひとりが抜け出して、「ああ良かった」と安心するのではない。
それでは、本当の意味で、貧困から抜け出したとは言えない。
なぜならば、心は貧困のままだから。

もし、自分が貧困から抜け出しても、まだ貧困道は終わらない。
貧困で苦しむ人々がいる限り、その人たちに救いの手を伸べる。
そして、世の中から貧困を撲滅するまで戦う。
それが貧困道なのだ。



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反格差北海道
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