宮沢賢治「ビジテリアン大祭」同情派、予防派、第三派 | kuwanakenのブログ

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プラス思考は、好きじゃない。
前を向いたり、しゃがんだり、
振り返ったり、無理をせず、
幸せレンガを、積んでいこう。

 宮沢賢治さんの「ビジテリアン大祭」を読みました。童話という触れ込みですが、子供が読んでもおもしろくありません。舞台はニュウファウンドランド島。菜食主義者と肉食主義者が、激しい議論の応酬を繰り広げる社会派小説です。

 

 ビジテリアンを三種類に分けるところは興味深いです。一つめは同情派。「食べられる方になって考えてみると、とてもかあいそうでそんなことはできないと云う思想・・」現代では、動物好きが好感度アップにつながります。

 

 二つめは予防派。「肉類や乳汁を、あんまりたくさん食べると、リウマチスや痛風や、悪性の腫脹や、色々いけない結果が起こる・・」肉食で悪玉菌が増える大腸がんリスクが実証されています。僕は毎日蕎麦を食べていても直腸ガンになりましたけど。

 

 三つめが「一つのいのちが入用な時は、仕方がないから泣きながらでも食べていい、そのかわりもしその一人が自分になった場合でも敢えて避けない・・」自分が食べられても仕方がないと。賢治さん自身が泣きながら肉を食べたそうです。

 

 菜食主義と肉食主義の議論はおもしろいです。「植物性蛋白質は消化が悪い」「慣れれば消化も良くなる」「菜食は味気ない」「味気ないのは肉を食べるせい」「動物は器械」「動物にも心があり苦痛を感じる」などなど。

 

 「動物は器械」という説はひどいです。消化吸収排泄をするだけの器械という意味です。ただ、19世紀のアメリカでは黒人が家畜として扱われました。いつの日か、動物が人間と同等に扱われる日が来るのかもしれません。

 

 さらに、「動物と植物との間には確たる境界がない。動物がかわいそうなら、植物もかわいそう」に対して、「いくら連続していてもその両端では大分ちがいます。太陽スペクトラムの七色をごらんなさい」という論争も大いに愉快です。

 

 臨済宗の高僧山川宗玄老師に、直接質問したことがあります。「どうして動物を食べないのですか」答えは「根絶やしにしない」そして「自分から遠いものを食べる」。この二つは、ビジテリアン大祭にふさわしい答えになると思います。