お涙ちょうだい作家、浅田次郎の真骨頂「月下の恋人」 | kuwanakenのブログ

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前を向いたり、しゃがんだり、
振り返ったり、無理をせず、
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 浅田次郎さんの短編集「月下の恋人」を読みました。浅田さん曰く「僕は俗にお涙作家と言われるけれど、読者を泣かそうという意識はありません」きっと、それはウソです。少なくとも感動させようとは思っているはずです。

 

 お涙ちょうだい小説に乗せられてはいけない。そう思いながら読んでいると、二つ目の「告白」で成さぬ仲の父娘に思わずうるっとしながらも堪えました。ところが、五つ目の「忘れじの宿」では、不覚にもボロボロ涙がこぼれます。

 

 13年前に亡くなった妻のことを、今でも引きずっている男の話です。妻は死に至る眠りに抗いながら、「忘れてよ」と呟いたのです。「忘れないでね」では何も感じませんが、「忘れてよ」は耐えられませんでした。

 

 僕は子供たちに「自分で考えて決めなさい」と口を酸っぱくして伝えています。ミニバスケットの子供にも、もちろん自分の子供たちにも孫たちにも。自分で決めたのなら、僕が助言したことなんか、忘れても良いと思っています。

 

 仏教では三輪空という言葉があります。「何をしてあげたか、誰にしてあげたかを忘れる。さらに、そんなことがあったことさえ忘れる」と解釈しています。そうありたいと思っていますが、美しい妻に「僕のことは忘れてよ」とは言えない。

 

 たとえば、今僕が死んだとしたら、妻の人生はまだ長く続きます。妻の行く末を考えたら、過去にとらわれることは良くありません。僕のことも忘れた方が幸せになれるに決まってます。妻の幸せを一番に考えたら「忘れてよ」と言うべきか。

 

 そこまで考えて、「あっ、お涙ちょうだい作家の思う壺だ」と気づきました。まんまとはめられたということです。「ぽっぽや」を読んだときなんか、先に映画を見て泣きどころがわかっていても、我慢できないほどでした。

 

 今回の「月下の恋人」は全十一話です。まだ、短編は六話残っています。これ以上はめられないように、十分用心しながら読まなければいけません。これもまた、浅田次郎作品の楽しみ方と捉えることにしましょうか。