Jさんの研究する応用言語学とは | kuwanakenのブログ

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 素敵な訪問者Jさんは、応用言語学を研究したいと話します。応用というからには、言語を社会的にどう応用するかという話だと思います。たとえば、個人的な人間関係とか、社会的な上下関係とか、言葉を使い分けることでしょうか。

 

 Jさんは「ジョージア州で学生アルバイトをしているとき、英語の分からない東洋人がやって来て戸惑っていた。唯一覚えた日本語『こんにちは』と声を掛けたら、表情が明るくなって、その後はジェスチャーで用が足りた」と話します。

 

 つまり、言語の違いから精神的な壁ができていた。「こんにちは」の一言だけで壁が消えた。本来は身振り手振りだけで済む買い物だったので、挨拶が問題を解決したことになります。これも、応用言語学といえるかどうか。

 

 僕は20ヶ国語の挨拶ができますが、これは単なる宴会芸のつもりで覚えました。でも、観光地で外国人に声を掛けるたび、その人のお国言葉で挨拶します。それだけで、和気あいあいになります。オランダ人しかり、ロシア人しかり。フランス人しかり。

 

 残念ながら、挨拶しか知りません。その後は片言英語で乗り切ります。困ったら美しい妻にすがります。それだけで、通りすがりの出会いとしては最高です。少なくとも、僕の人生には大いに潤いをもたらしてくれます。

 

 それでは、戦前の朝鮮や台湾で、日本語教育を強いたことはどうでしょうか。目的は占領地での統治を円滑にする為だと思いますが、その国の文化へも大きな影響を与えました。応用言語学を悪用した例かも知れません。

 

 そう考えると、敬語は上下関係を明確にして、階層を維持する為のようにも思えます。Jさんの話では「英語のwould youは敬語にあたるが、会話で使うことはない」少なくとも、ジョージア州では言葉で上下関係を保とうとはしないようです。

 

 Jさんの妹のMさんは日本語が話せません。僕は英語が話せません。でも、楽しく食事をしながら、互いに目を合わせて笑顔を交わすことも多くありました。僕らの共通言語は食事と笑顔です。これも一つのリンガフランカ?