「虹を操る少年」フォトンが見えると権力者が困る | kuwanakenのブログ

kuwanakenのブログ

プラス思考は、好きじゃない。
前を向いたり、しゃがんだり、
振り返ったり、無理をせず、
幸せレンガを、積んでいこう。

 東野圭吾さんの「虹を操る少年」を読みました。天才高校生が音楽のように光を演奏する話です。みつる君は人の放つ光が見えます。光で感情表現をします。みつる君の演奏を聴いた若者には、その光が見え始めます。オーラや気功に似ています。

 

 その光をバイオフォトンと呼んでいました。フォトンといえば光の素粒子です。素粒子が見えるようになったら、見える情報が多すぎて混乱しそうです。物語の中では、そこまで気にしていないようです。情報を上手に操れるということでしょうか。

 

 僕が小学生の頃、最小単位は原子と教わりました。その後、もっと小さな単位の陽子や中性子が出て来ました。このくらいなら理解できますが、クォークとかレプトンとなると頭が痛くなります。そこへ、フォトンと説明されても頭がパンクです。

 

 みつる君の説明は「地球に生命が誕生すると同時に敵も生まれた・・」とあります。素粒子から宇宙まで、まるでウロボロスの蛇です。東野圭吾さんが科学を題材にするとややこしくて敵いません。大概にして欲しいものです。

 

 ただ、天才が主人公の物語はとても痛快なところがあります。天才少年みつる君の扱いに、周りの大人が右往左往する場面は実におもしろいです。この場合、大人の立場で考えてはいけません。自分も高校生になるのが楽しむコツです。

 

 話を戻します。光で感情表現ができれば情報伝達がひっくり返ります。みつる君はそんな世界を目指しています。その流れを邪魔するのは権力者です。「人を欺き人を殺すことで権力を得た連中に、光を求めることなんてできない」とみつる君は訴えます。

 

 虹と光から、LGBT運動のレインボープライドが頭に浮かびました。LGBT差別禁止法が骨抜きにされるというニュースのことです。権力者は変わることを恐れるものです。変化や多様性は権力を脅かすからです。

 

 僕には人の放つ光が見えません。気功教室に通ったことがありますが、結局何も感じることができずに挫折した経験があります。権力も持たないし、変化や多様性も大切に思っているんだから、光が見えても良いはずなのに。