誰も聞きたくない夢でトイレを探す話 | kuwanakenのブログ

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プラス思考は、好きじゃない。
前を向いたり、しゃがんだり、
振り返ったり、無理をせず、
幸せレンガを、積んでいこう。

 久しぶりにトイレを探す夢を見ました。人の夢の話を聞かされるほどつまらないことはありません。黒澤明監督の「夢」を見てうんざりした覚えがあります。それでも、スピルバーグさんは絶賛したのですから、人それぞれということです。

 

 フロイトさんは夢判断をしました。夢は辻褄の合わないことばかりなのに、どうやって科学的に判断できたか不思議です。形に表すことも無理でしょうし、数値で認識することもできないでしょう。しいていえば、神経症が治ることで証明されるのでしょうか。

 

 夢を芝居に例えるなら、原作は無意識で抑え込まれた欲望です。脚本は現実に起きた記憶です。記憶通りに芝居を演じてくれれば、表に出てきた欲望も分かりやすいです。ところが、検閲や圧縮でやたらと演出された、ややこしい芝居を見せられます。

 

 夢が時間や場所を飛び越えるのは、でたらめな演出で加工されるためです。そんな夢の中から、無意識の中に抑えられた欲望を表に出したのがフロイトさんというわけです。よほど根気の良い人に違いありません。

 

 夢は「単館上映、上映当日1夜限り、観客制限1名」と厳格に定められている映画です。本人しか見ていない映画の感想を、フロイトさんは事細かに聞いていったわけです。それをこまめに分析するのですから、大変な作業です。

 

 当然ながら、夢の中で現れるのは素直な欲望ではありません。フロイトさんが見逃さなかったのは、現実と掛け離れた奇妙な部分や、明確に現れた場面です。例えば、アイドルにナンパされたり、きれいなトイレだったり。

 

 小さな頃からトイレを探す夢を度々見ました。幼い頃は、やっと見つけたトイレでおしっこをしたらおねしょしました。大きくなるとその失敗に懲りて、夢でトイレを見つけても我慢しました。目が覚めて漏れそうだと気づき、トイレに駆け込んでホッとしたものです。

 

 夢判断では、トイレを我慢することは、押さえ込まれた欲望そのものです。先日の夢では、きれいなトイレを見つけて気持ち良くおしっこをしても、おねしょはしませんでした。欲望が解放され、主夫生活が満たされていると分析します。