コロナのせいで不都合を共有 | kuwanakenのブログ

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プラス思考は、好きじゃない。
前を向いたり、しゃがんだり、
振り返ったり、無理をせず、
幸せレンガを、積んでいこう。

 強い風に神社の桜の枝があおられます。桜吹雪が舞うと、孫二人が小さな花びらを追いかけて走り回ります。手のひらに集めては、頭上に放り上げてはしゃぎます。舞い降りる花びらに飽きたらなくなると、手の届く枝を叩いてわざと散らします。

 

 もう少し枝に留まろうとする花を、むげに落とすのもどうかと思います。しかし、子供のすることを止める気にもなりません。それを突き詰めれば、生け花は花を生かすのか殺すのかという論いにもつながるからです。

 

 今年の桜はあっという間に満開になって、あっという間に散り始めました。神社には十本ほどの桜の木がありますが、少しずつずらして咲いてくれます。今はちょうど、花びらを敷き詰めた桜の絨毯の上で、満開の桜を眺めることができます。

 

 福島原発事故で帰還困難地域の人たちは、花見ができるような元の暮らしに戻りたいと願います。ところが、コロナのせいで花見を我慢する人は日本中にいます。図らずも、花見ができない不都合を共有する羽目になったのです。

 

 そんな状況はいろんな立場で起きています。花粉症がひどくて、マスクを欠かさず外出も控えていた人がいます。パニック障害の人や車椅子利用者の不都合も似ています。それも、コロナのせいで日本中が同じ不都合を味わっています。

 

 現在の自粛社会は、コロナで社会が不都合に変わった結果です。障害はそれ自体の不都合と、周りの無理解との二重の苦痛にさいなまれます。コロナ禍で、多くの人が同じ不都合を共有できました。つまり、世界中の人が障害者になったのです。

 

 自粛疲れで街へ繰り出し、大騒ぎする人がいます。その人たちは、障害で外出することに不都合を感じる人の気持ちが分かったはずです。そうなれば、障害の共有から理解へ進み、無理解の苦痛はなくなるはずです。問題は無理解な社会にありました。

 

 僕は排便障害としゃべりすぎ障害と屁理屈障害を持っています。後の二つは周りの人に迷惑をかけることもあります。コロナのおかげで理解が進むことを期待しています。そして、来年の春は日本中で花見をしたいです。