冷凍餃子手抜き発言 | kuwanakenのブログ

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プラス思考は、好きじゃない。
前を向いたり、しゃがんだり、
振り返ったり、無理をせず、
幸せレンガを、積んでいこう。

 冷凍餃子を食卓に並べたら、夫に手抜きと嫌味を言われたそうです。今の冷凍餃子は水も油もいらずフライパンで焼くだけ、パリパリの羽根もできます。とてもおいしいです。ときどき、美しい妻が買って来ます。プロみたいに羽根もできます。

 
 我が家では、タネを作り皮にくるんでホットプレートで焼くことが多いです。皮はスーパーで買います。なかには、皮も小麦粉から作る人がいます。その人から見れば、僕の餃子は手抜きと呼べるかもしれません。つまり、手抜きの線引きは様々なのです。
 
 その昔、狩猟で肉を取ることも、木の実を採集することも家族総出の仕事でした。男も女も必死に食料を集めたのです。今の時代、肉も小麦粉もスーパーで買います。石器時代の人から見れば、食料を自分で取らない人はみんな手抜きです。
 
 もちろん、アダムスミスが分業という言葉を作り出す前から、手抜きは始まっています。一人が全ての仕事をこなすよりも、それぞれの人が自分の得意なことだけをやり続ける方が上手になります。僕だって蕎麦だけ打ってれば、もっと上手くなったはずです。
 
 弓矢を専門に作る人が出てくれば、別な人が食料を調達して、3人目が服を作り、4人目が家を作る。それぞれは、自分の仕事の技術を磨いて、生産性を上げていきます。家内制手工業の始まりです。中学校で習いました。
 
 分業によって経済活動が回り始めます。そのあげく、冷凍餃子ばかり作る人が出て来ます。味の素は反論しました。「冷凍餃子は手抜きではなく、手間抜きです。生まれた時間でお子さんの勉強を見たり、遠くの親類に電話したり、誰かのために使って・・・」
 
 冷凍餃子を手抜きと嫌味を言った夫は、自分で狩猟もしないし、栽培もしません。餃子のタネを皮に包むこともしないそうです。数百年に渡る富の蓄積が、大いなる手抜きを作り出したのです。手抜きの張本人が手抜きを悪く言ったらいけません。
 
 僕がやっていた蕎麦屋では、蕎麦は毎日打ちますが、うどんは3日分くらい一度に打ちました。手打ちうどんならぬ手抜きうどんと呼んでいました。他にも合理化と称する手抜きを進めました。おかげで、お客さんと話す時間が増えました。楽しい蕎麦屋になりました。