お昼ご飯を食べ終わった頃、風が強くなりました。家の前の神社は花吹雪が舞い始めます。その中を近所の子供たちがはしゃぎまわっています。大きく開いた口に花びらが入りそうです。
花吹雪を写真に納めようと思い立ち、iPadを取りに行っている間に風が止んでしまいました。ちらほら青空に舞い残る花びらを追っていると、西の空に薄くてぼんやりした月を見つけました。
真昼に出てくるのは上弦の月でしょうか。誰が名付けたか知りませんが、弦が下を向いているのに上弦とはややこしい。弦の向きではなくて、上旬の月、下旬の月と考えた方が納得がいきます。
お月さんは大きくなったり、小さくなったり。ときんときんに尖ったり、人の影ができるくらいまん丸に光ったり。歩いても歩いても、ついてきます。不思議な存在です。
青空に浮かぶ小さな月は、小さくて半分かけていて、桜の花びらと間違えそうです。一首詠みました。「白月の小さく薄く浮かびたる 花吹雪かと見紛いにけり」
令和の出典となった万葉集の令月のように、日本人はお月さんが大好きです。お月さんを眺めるだけでなく、待つことさえも楽しみにします。立待月、居待月、臥待月。
当時は今ほど夜が明るくありません。月が帰り道を照らしてくれることもあります。月明かりは、生活を左右するほど影響力があったと思います。月が生活の一部だったといってもおかしくありません。
新元号令和のおかげで、桜を見ても月を見ても、1400年前の人々を思い浮かべるようになりました。令和フィーバーが日本人の心を豊かにしてくれたかもしれません。