映画 「関心領域」 | 映画熱

映画 「関心領域」

人が、人を、人と思わなくなることが、一番恐ろしい。

 

 

話題の映画を、ようやく見ることができました。

 

「落下の解剖学」で異様な存在感を残したザンドラ・ヒュラ―が見たくて、

 

仕事が終わってから、映画館へ直行。

 

 

聞きしに勝る、異様な手法に、メンタルが揺さぶられました~

 

 

 

原作は、マーティン・スミスの同名小説。

 

監督・脚本は、ジョナサン・グレイザー。

 

原作者と監督は、ともにイギリス人だそうで。

 

 

冒頭、静かにピクニックを楽しむ、家族たちの姿。

 

彼らが帰っていくところは、広い立派なお屋敷でした。

 

しかしそこは… アウシュビッツ収容所に隣接する場所。

 

壁一枚隔てた「むこう側」では、ユダヤ人の虐殺が公然と行われているのです。

 

 

 

主人公は、収容所の所長、ルドルフ・ヘス。

 

職場が近い、というのは便利なんでしょうが、

 

家に帰ってからも、すぐそこで「作業」が行われている環境で住む、というのは、

 

なかなかの、鋼のメンタルなんでしょうか。

 

 

新聞記事で読んだんですが、原作だと、物語の語り手は3人いるそうで、所長はその1人。

 

グレイザー監督は、所長とその家族に焦点を絞り、名前も実在の人物そのまんまにしたんだそうな。

 

これだけで、並々ならぬ意気込みが感じられるというものですね。

 

(ヘスは、「ソフィーの選択」で、メリル・ストリープが関わった男ですな)

 

 

所長の奥様を演じるのが、ザンドラ・ヒュラ―。

 

すげえ、登場した瞬間から、嫌なクソババアオーラを放ちまくりでございますな。

 

まさに、憎たらしい中年女を演じさせたら、現在、世界最強でしょう。

 

 

 

本作には、虐殺の情景は、直接的な映像としては、画面には映りません。

 

しかしながら、「音響」として、観客の心をジワジワと侵食していくのです。

 

大きな作業機械が動くような、低周波の音。

 

罵声。銃声。悲鳴…

 

唯一の映像は、巨大な煙突から立ち上る、黒煙。

 

夜になっても、その音は続き、煙突からは、赤い炎が…

 

 

所長も、奥様も、子供たちも、使用人も、みんな、平然としている。

 

その光景が、異常であるのに、観客もいつしか、慣れてしまう気分になるのが、コワい。

 

初めて見た時は驚くけど、それが日常になると、当たり前の風景になってしまうのかもしれない。

 

 

この映画で退屈を感じた人は、適応能力が高いのかもしれませんね。

 

俺は、終始息苦しく、吐き気をもよおしながら見ました。

 

それでも、見ずにはいられませんでした。

 

 

ザンドラ姐さんの雰囲気が、相変わらずものすごい。

 

奥様とは思えない、下品な立ち振る舞いで、大衆食堂のおばちゃんかと思った。

 

家事は一切せず、使用人(というか奴隷)に全部任せっきりで、気に食わないと怒る。

 

八つ当たりばかりされて、ひどいこと言われても、じっと我慢する女性…

 

それでも、処刑されるよりもましなのかもなあ。

 

 

奥様がオニババなのに対して、夫のルドルフは、何だか優しくて、気が弱いような印象。

 

いやいやいや、現場ではちゃんとお努めを果たしているんだろうから、

 

女房の尻にしかれている、という設定なんでしょうか。

 

お二人の会話を聞いていると、力関係がモロわかりなのが、切ない。

 

きっと、求婚した時から、こうなることが決まっていたんでしょうね。

 

 

 

しかし、このババア、子育てをまるでしていない様子。

 

赤ん坊がギャンギャン泣いているのに、知らん顔。

 

その泣き声が、「むこう側」の悲鳴と重なって、ますます不穏な空気になっていく。

 

 

ああ、何もかもが、すでに崩壊してしまっている。

 

上映時間が1時間45分くらいなのに、長く長く感じてしまう。

 

 

しかしながら、まともな神経の持ち主が、3人ほど登場。

 

1人目は、ザンドラババアの母親。

 

2人目は、リンゴを運ぶ女の子。

 

三人目は… 泣き続ける赤ん坊だと俺は思いたい。

 

 

この3人を見るたびに、吐き気がいよいよ、本格的になってくる。

 

そして終盤… あ~あ、そうなるよなあ。

 

もしかして、この人も、まともな部分があるのかも、って。

 

 

 

 

差別意識というのは、人間だれしも、潜在的に持ち合わせているものだ思う。

 

それは、自分や身近な人を守るための、防衛本能のようなもの。

 

転職したり、引っ越した時に感じた、よそ者扱いの記憶がリアルに物語っている。

 

中途採用者は、人の3倍がんばらないと、認めてもらえないもんね。

 

最初は、排除すべき対象だったのが、敵じゃないとわかると、とたんに態度が変わり、

 

こいつは役に立つ、とわかれば、味方として受け入れられる。そこまでが、苦しい。

 

 

その感覚の根底にあるのが、「不安と恐怖」だと思うんですよね。

 

こいつは得体が知れないから、何をするかわからない。

 

何か悪さをすれば、それみろ、とばかりに、攻撃対象になる。

 

 

ドイツは、選民思想というものがあるらしいから、始末が悪い。

 

ましてや、聖書にも、物騒なことが色々書いてあるから、余計に大変。

 

宗教に熱心な人ほど、争い事が大好きなのは、どうしてなんでしょうね。

 

 

 

A24という映画製作会社は、意欲的な作品をたくさん生み出しているようです。

 

俺も、映画館で見たのは、「複製された男」「ムーンライト」「ミッドサマー」

 

「ラム」に続いて、これで5本目になります。

 

1つの物語でも、それぞれの人物の視点で考えると、

 

立体的で複合的な、深い意味合いが広がるんですね。

 

 

本作も、色んな登場人物の視点で考えると、実に味わい深い。

 

みんな、自分が間違っているとは思っていないから。

 

そこが滑稽で、哀しくて、怖いところなんです。

 

 

 

この映画は、教材として、語り継いでいって欲しい、稀有な作品。

 

映像で見せずに、音響や、演じる人たちの会話で表現する手法は、

 

黒澤明監督の「夢」とか、吉本興業の「大怪獣東京にあらわる」を思い出します。

 

それでも、本作のインパクトは、群を抜いて突出しております。

 

まさに、観客のイマジネーションによって、絶大な効果を生み出すことに成功している。

 

 

 

圧巻は、エンディングの、奇妙な音楽。

 

これはもう、吐き気が絶頂になると思うので、敏感な方は、お早めにお手洗いへ。

 

オマケ映像とかないので、見られるところまで、がんばって見て下さい。それで充分。

 

 

 

この映画は、残りますねえ。

 

見てから2日経ったけど、まだ、あの音が耳にこびりついています。

 

そこが、いい。

 

人の人生を変える映画は、それくらいじゃないと。

 

 

戦争を考えるきっかけになる教材であることは、間違いないけど、

 

あまり深く考え過ぎるのも、心身によくないので、可能な限りでOK。

 

 

ささいなことから、憎しみが生まれ、争い事に発展していく。

 

そうならないために、何ができるんだろう。

 

 

弱い者を、侮るなかれ。

 

強い者を、信じ過ぎないように気をつけろ。

 

弱い者は、いずれ、力を持って強くなり、

 

強い者は、いずれ、何もかも失ってしまう。

 

 

大人は、人のせいにばかりしないで、自分ができることを、黙々とやるべし。

 

自分をひどい目に合わせた奴らと、同じになってはいけない。

 

ひとつでもいいから、あいつらができなかったことを成し遂げてから、この世を去るべし。

 

そして、子供たちに、未来を語って欲しい。

 

自分ができなかったことは、志を理解してくれた、後の者たちが、考えてくれるから。

 

 

 

悪いことをした大人たちには、そうなった理由が、必ずあるのだから。

 

理解できなくてもいいから、頭の片隅において、自分の生き方を貫けばいい。

 

 

未来を生きる子供たちに、今を生きる若者たちに、この映画を贈ります。

 

 

…暗黒の向こう側で、ぬくもりに満ちた光が、きっと、傷ついた魂を、包んでくれるから。