映画 「あんのこと」
地獄から抜け出せたはずなのに、どうしてこんなことに… ああ。
冒頭、夜明けの街をさまよう、うつろな目をした女性の姿が、静かに映ります。
疲弊しきったような、暗く重い、脱力感が、画面の隅々に、漂います。
彼女の身に、何が起こったのか。
本作は、実際に起きた出来事にもとづいた、オリジナル脚本。
監督・脚本は、入江悠。
彼の映画を劇場で見るのは、「22年目の告白」「シュシュシュの娘」に続いて3本目。
主人公の杏を演じるのは、現在、話題沸騰中の、河合優実。
彼女が出演した映画を劇場で見るのは、もう5回目になりますか。
主役でも脇役でも、存在感抜群ですが、俺のイチオシは、「愛なのに」。
古本屋の店長(瀬戸康史)に、ある日突然告白してしまう、トンデモ女子高生の役でした。
原作があるのに、今泉監督が自分の映画「足手」とおんなじにしてしまった切り口が爆笑だったなあ。
彼女の、独特のオーラが、本作では、究極の状態まで、歪んでいく。
痛々しいと思いながらも、懸命に生きているこの娘から、目が離せない。
俺自身も、虐待された経験を持っていますが、
男子と女子ではまるで違うし、環境も生い立ちも、複雑に異なる。
だけど、地獄から抜け出そうと懸命にもがいている気持ちは、伝わってきます。
彼女にとって幸運だったのは、逮捕され、取り調べた刑事との出会いでした。
演じるのは、もうすっかりベテラン俳優になった、佐藤二朗。
怪しくも憎めないキャラは、彼特有の持ち味ですね。
「メモ」「はるヲうるひと」の延長で、この役柄を演じているように感じます。
そして、更生施設に出入りしている記者。演じるのは、稲垣吾郎。
彼もまた、悪気のない悪役ぶりが、だんだん板についてきたように思います。
「窓辺にて」「性欲」、そして放映中のドラマ「燕は戻ってこない」の路線で楽しめるかと。
このおっさん2人との出会いによって、杏は、自分が知らない、優しい世界を見ることになる。
自分が今まで生きてきた環境と違って、ちゃんと呼吸ができて、あたたかいぬくもりがある。
こんなところが、あったんだ。
ここを、自分の居場所にしていいんだろうか。
彼女は、戸惑いながらも、できることを必死にやって、新しい空気を、吸おうとする。
いつしか、血色もよくなり、健全な、女の子らしさが、構築されていく。
…あたし、生きててもいいんだ。
冒頭の彼女とは見違えるほどに、生命力が湧き上がってくる姿に、観客も、思わず拍手。
仕事も、生活にも慣れて、これから、という時に、あれが襲い掛かる…
新型コロナウイルスの蔓延、である。
セーフティシステムというのは、社会がまともに機能してこそ、威力を発揮する。
しかし、国の決定とともに、当たり前にあったものが、いとも簡単に、崩壊してしまう。
誰にも、悪気はないから、始末が悪い。
俺も、精神療養をしている時に、市役所の窓口やら、労働基準監督署やらで、色々あった。
こっちの言い分などまるで聞いてもらえず、こういう決まりなので、ダメです、と。
自分がまともに働けていれば、こんなことにならないのに…と、自分を責める毎日。
だから、弱い者の味方のような、この映画のおっちゃん2人が、実に魅力的なんですね。
一緒に立ち向かってくれる人、戦い方を教えてくれる人が、子供を大人に成長させてくれるのです。
中盤までの、盛り上がりが、危なげながらも、キラキラしていて、すごくよかった。
しかし…
人には、色んな面があるものです。
誰にでも、いい一面があれば、そうじゃない一面もある。
本人にとってよかれと思うことが、相手にとって必ずしもそうでないように。
新型コロナによって、社会とのつながりが分断され、
さらに、頼りにしていた人とのつながりも断たれ、
心のよりどころを失った彼女に、また、予想外の出来事が…
最悪の状況なんて、誰も望んでいない。
こういう時、不思議と、みんな、同じことを言う。
…こんなことになるなって、思ってもみなかった、と。
人は、苦しい時、痛くてたまらない時に、必ず、サインを出す。
しかし、身近に寄り添う者が、誰もいなかったら。
どこに、誰に助けを求めていいか、わからなかったら。
一番助けて欲しい人が、いなくなったら…
彼女の境遇は、俺の境遇とも、部分的に一致しているところがある。
それは、逃げたくても逃げられない、エンドレスな地獄。
親という独裁者は、都合のいい時だけ、家族愛を主張するから、始末が悪い。
くされ外道の母親を演じる、河井青葉の狂気の演技が、リアル過ぎて怖い。
彼女が怒り狂う姿が、俺の父親の亡霊を呼び起こす。
親は、子供をどこまで奴隷にしたら気が済むんだろうか…?
たまたま、それなりの家庭に生まれて、当たり前に育った人は、幸いである。
彼らは、優しい人になるでしょう。
たまたま、ひどい家庭に生まれて、歪んで育った人は、わざわい…ではない。
その体験は、いい人との出会いにより、浄化されて、生きるための武器に変わる。
そういう、困難に立ち向かう魂を育てるために、あえて、荷を増やされたのかもしれない。
ひとりで背負えない、重い荷物も、誰かと一緒なら、もう少しだけ、生きられるかも。
佐藤二朗の言葉が、今でも、俺の心に残っている。
シンプルだけど、俺の実体験につながる言葉だから、真実なのだ。
(この台詞は、年末のランキング記事でお話しします)
何から何まで、完璧な善人がいないように、
何から何まで、完璧な悪人もいない。
俺は少なくとも、そう思いたい。
映画の毒親な母親も、
俺の毒親な父親も、
何かがあって、そうなったのでしょう。
だけど、その腹いせに、暴力をふるっていい、ということにはならない。
抵抗できない弱い者を蹂躙して、人格を奪っていい、という理由にはならない。
俺は、何故、この世に生まれたんだろう。
生まれなかった方がよかった子供なのに、どうして今もこうして、生きているんだろう。
それでも、自分よりもっとひどい目に遭っている人が、
俺なんかより、ずっとがんばって、立派に生きている。
そういう人と出会う度に、俺は、少しだけ、強くなっているのかもしれない。
映画の、杏ちゃんは、あの環境において、必死で生き抜いていた。
人から言われたことを、素直に受け入れて、自分の栄養に変換する力があった。
素晴らしい生命力が、ちゃんと、彼女には備わっていたことの証しである。
河井青葉の、鬼のような演技もまた、この映画の、重要な役割を担っている。
「私の男」のせつない演技と、「偶然と想像」のエレガントな演技の幅がすごい。
本作のあの“睨み”は、トラウマ級の悪夢になりそうです。
(これに対抗できるのは、「愛を乞う人」の原田美枝子か、「赤ひげ」のおとよちゃんの継母か)
この映画は、画面の温度が高い。
いいものを作ろうという、作り手の熱気が、スクリーンから伝わってくる。
感動作かどうかは、観客が決めていい。
映画を見て、トラウマに苦しんで、しばらくの間、苦悩して、
最終的に、生きる力になればいいのである。
これは、れっきとした、教育映画だ。
PG12だけど、学校単位で見せてあげて欲しい、渾身の1本。
売春も麻薬もいけないことだけど、当事者の気持ちを理解するために、外せない1本なんだ!
映画は、人生を生き抜くための、教科書であり、
映画館こそは、人生を学ぶための、道場である。
今宵も、ワンカップを片手に、ジャンキーなつまみを伴って、記事を書いています。
確実に言えるのは、今日、俺は、残りの人生をおろそかにしてはいかん、と学んだこと。
そこ、大事。
杏ちゃんと、夢の中で、一杯やりたいなあ。
彼女の、屈託のない、素直な笑顔に、おっさんは救われるんですねえ。
彼女が、介護士として働く職場の、入居者のじいさんに、俺はなりたい、なんて思っちゃった。
人は必ず、何かしら、いいものを持っている。
それを、ほんの少しの時間でも、発揮できた彼女は、幸運だったかもしれない。
暗闇から彼女を連れだしたおっさん2人にも、俺は、拍手を惜しまない。
つらくて切ない物語だけど、人は人生を生きる価値がある、と教えてくれる映画だった。
いつかどこかで、彼女みたいな若者に出会うことがあったら、
みんなでよってたかって、優しくしてあげましょう。
君がこの世に生まれてくれてよかった、と、言ってあげましょう。
…杏ちゃん、しんどい生涯、おつかれさまでした!