映画 「ありふれた教室」
誰も望んでいない方向へ、どんどん悪化していくのは、恐ろしい。
ドイツ映画って、妥協がない。とことんやっちゃう。
そういうイメージが、基本、俺の心の中にあります。
この映画、かなり攻め込んでいますよ~
監督は、38歳の若手、イルケル・チャタク。
同級生のヨハネス・ドゥンカーと共同脚本で、本作を生み出しました。
「ありふれた」は、広辞苑によると、「どこにでもある、珍しくない」という意味。
つまり、どの教室でも起こり得る、身近なお話、ということになりますね。
これって、コワいなあ…
主人公カーラ・ノヴァクは、新たに赴任して来た、女性教師。教える教科は、数学。
始まってすぐに、あ、この教室、まとまっているな、という印象を受けます。
しかし、違和感を覚えたことも、正直なところ。
生徒が私服で授業を受けているけど、内容は高度な感じ。
7年生、という言葉を聞いて、ああ、そうか、中学1年生のクラスなのか、と気づく。
そんな「秩序が保たれている教室」に、ジワジワと異変が起こる。
実は、校内で、盗難事件がたびたび起こっていた。
先生方は、犯人が誰かを追求するために、生徒を呼び出しては、質問をする。
このことは、口外しないようにと、口止めをして。
ある日、カーラは、思い付きで、職員室に置いてあるパソコンで、室内の様子を動画で撮影。
そこに写っていたのは、彼女の上着のポケットから財布を盗む、犯人の服の袖だった。
彼女は、同じ柄の服を着ていた女性教師、クーンに問いただすが、強く否定される。
このことを校長先生に報告すると、校長はクーンを校長室に呼び出す。
疑われた彼女はひどく狼狽し、そのまま学校からいなくなってしまう。
彼女の息子オスカーは、カーラのクラスの生徒であった…
ねえ、ママは何をしたの? 先生、教えてよ!
あなたは知らない方がいいわ、なんて言ったって、中学生はそう単純じゃない。
やがて、保護者会、生徒が運営する学校新聞で、どえらい展開になっていく。
果たして、大人たちは、子供たちを納得させることができるのか?
カーラ・ノヴァク先生を演じた、レオニー・ベネシュが素晴らしい。
実際、彼女の授業は魅力的で、俺も彼女の生徒になりたいと思いました。
数学の授業で、0.9999…と1はイコールかどうか、の問いは面白かった。
これを。「主張」と「証明」の両面で答える生徒のカッコよさにもシビレました。
論理というのは、人間関係の問題にも応用できる、はずなんですけどね。
オスカーを演じたレオナルト・シュテットニッシュのまなざしが、知的で聡明。
彼の真摯な瞳で見つめられると、やっぱり大人はしっかりしなきゃならんと思います。
登場人物の誰もが、悪気はないのに、悪い方向に行ってしまうのが悲しい。
正義感とか、悪ふざけとか、嫌味とか、何気ないことが、きっかけになり、
相手を思いやっての行動が、余計に事態をこじらせてしまう。
ああ、こんなことって、身近にありそうだよなあ。
1つボタンをかけ間違うと、どんどん連鎖が起きて、もう、ほどきようがなくなって、
気がついたら、何もかもおかしくなって…
まさに、悪夢の時間が続くのです。これは、はっきり言って怖い。
相手が興奮している時に、こちらはどこまで冷静でいられるか。
因果関係と、相関関係。 推測と決めつけ。 イメージの暴走。
大人をなめんなよ。 子供をなめんなよ。 保護者をなめんなよ。
普段、お互いが妥協して、何とか均衡が保たれている関係に、いったんヒビが入ると、
たちまちそれは崩壊し、取り返しのつかない世界へ、まっしぐら。
これは、学校だから、ではなく、あらゆる社会の、縮図なのだ。
人間が集団で行動する現場には、絶対潜んでいるシロモノなのだ。
観客は、自分だったらどうするだろう、と考えながら、物語の行方を追うことになります。
先生たちと生徒たちが、何とか、和解することができればいいんですが…
ドイツ映画といえば、最初に出会ったのは、モノクロ作品でした。
フリッツ・ラング監督の「メトロポリス」と「M」が強烈で…
大人になってから、「ベルリン天使の詩」「ラン・ローラ・ラン」「es」
「4分間のピアニスト」「ヘブンズドア」「善き人のためのソナタ」に出会いました。
とにかく、妥協なく突っ走る作品が多いんですよね~
もちろんこれは、俺が抱いている勝手なイメージ。
人によって、印象はまるで違うでしょう。
しかしながら、「人それぞれ」という言葉で片づけてしまうのは、もったいない。
みんながそれぞれ、「自分の感じ方」を大切にして、語り合うきっかけにすればよろしい。
だから、この映画も、教材として、教育に生かしてみたらいいんじゃないかと。
文部省特選にして、学校単位で見せて、大いに語り合っていただきたい。
俺、こういう授業なら、積極的にどんどん発言してみたいって思う。
大人も子供も関係なく、金持ちも貧乏も関係なく、対等な立場で。
チャタク監督は、トルコ系の移民の息子として、ベルリンで生まれたそうな。
色んな事情の人間がいて、色んな考えの人間がいる。
たぶん、ご自分の実体験も、作品に反映されているんじゃないかと、想像をめぐらせております。
彼の優れた感性は、きっと、いい映画をたくさん生み出してくれそうで、楽しみですね。
短絡的な人は、相手の話を、ちゃんと聞かない。
みんな忙しいから、人のことなんか、構っていられない。
だから、構ってもらえるうちに、聞いてもらえるうちに、
言うべきことは、言っておいた方がいい。
何となく、そんな気がする。
その、何気ない言動が、人の運命を、大きく、狂わせる。
まさか、そんなことになるなんて…
気づいた時には、もう遅い。
よくしよう、何とかしようとする行動が、裏目に出て、
悪い方、悪い方に、松本清張スパイラル地獄へ…ああ。
子供は、大人の言うことは聞かないけど、大人の真似をします。
子供は、大人の行動を、ちゃんと見ています。
よくも悪くも、大人は、子供の見本であり、教材なのです。
カーラ先生は、どんな状況になっても、決して逃げない。
生徒からも、自分からも、逃げない。
俺だったら、とっくに逃げ出してしまっているだろうけど、彼女は、絶対違う。
失敗しないように生きることよりも、
失敗した時にどうするかを、早いうちにたくさん学べた者は、幸いである。
もし俺が、先生の生徒だったら、勇気を出して、何かを言ってあげたくなりました。
わずかでもいいから、先生の力になりたい、と思いました。
だって、先生の授業が俺、好きなんだもん。
もっともっと、先生の話を、聞きたいんだもん。
頭がいいとか悪いとか、そういうことではなく、
素行がいいかとか悪いかとか、そういうことではなく、
学ぶことの楽しさを教えてくれる先生が、俺は好き。
人生の素晴らしさを教えてくれる大人が、俺は好き。
大人にも、子供にも、色んなのがいる。
同じことを同じように言っても、伝わり方が、まるで違う。
そこが、難しいところでもあり、面白いところでもあるのだ。
俺は、大人としては、失敗ばかりのダメ人間ですが、
弾かれた者の気持ちは、痛いほど経験した男です。
この経験が、今の仕事に生きているだけで、ありがたいと思わねば。
成功しようが、失敗しようが、
自分がどう向き合ったかが、一番大事MANブラザースバンド。
胸をかきむしられるような屈辱を味わった者にしか、見えない領域がある。
ありふれた出来事の中にこそ、深い現実がある。
今日を生き抜いて、明日を迎え、その向こうの景色を見るために。
今の苦しみを、耐えるべし。
これを乗り越えた、未来の自分が、
いつか、若者たちに、子供たちに、素敵な夢を語れるように。
…映画館こそは、俺の、最高の学び場!