映画 「52ヘルツのクジラたち」 | 映画熱

映画 「52ヘルツのクジラたち」

言いたい、聞きたい、わかってあげたい。…どんな誰よりも。

 

 

 

「ヘルツ」(Hz)は、周波数の単位。一秒間に何回振動するかを表します。

 

ラジオや通信などで、特定の周波数を扱うことで、交信することができます。

 

送信側と受信側がシンクロし合って初めて、ちょうどいい関係ができるんですね。

 

 

人間の可聴範囲は、20~20000ヘルツなのに対し、(←工業高校で習った)

 

クジラの場合は、10~39ヘルツくらいらしいです。

 

52ヘルツというのは、人間にとっては低周波だけど、クジラにとってはかなりの高周波。

 

仲間には聞こえない音で鳴く気持ちって、何だか切ない…

 

 

 

孤独であり、ごく限られた者しか、彼らの声を聞くことができない。

 

人間の、心の声も、ぞんな性質のものなのかもしれませんね。

 

 

 

 

主人公は、海辺が見える一軒家に、ひとりで引っ越して来た若い女性。

 

近所の人から奇異な目で見られながら、ひっそりと暮らしていると、

 

海岸で、ひとりの子供に出会います。

 

 

彼女はかつて、義理の父を介護していた。(今どきは、ヤングケアラーと言われるらしい)

 

母親はいるけど、介護は娘に任せきりで、気に食わないと、怒る・わめく・殴るが止まらない。

 

ある日、食事の介助中に、義父が誤嚥。救急搬送されたことで、母親の怒りが爆発。

 

お父さんを殺す気か!お前が死ねばいいんだ!と情け容赦のない言葉を浴びせられてしまう。

 

腫れ上がった顔で呆然と歩く彼女…そこへトラックが!

 

轢かれそうになった瞬間、間一髪のところで、ある青年に助けられる。

 

彼は、彼女の状態が尋常じゃないことを察し、何とか、力になりたいと思うのであった。

 

 

 

映画は、現在と過去が、交互に語られるスタイル。

 

物語が進むにつれて、時間の差が縮まっていくことで、細かい要素が明らかになっていきます。

 

さて一体、彼女の身に、何があったのでしょうか。

 

 

 

 

主演は、杉咲花。今回も、芯の強い演技が光っています。

 

彼女を初めて見たのは、「吉祥天女」で、本仮屋ユイカの少女時代だったような気がします。

 

一番インパクトを受けたのは、「ネオウルトラQ」で、宇宙生物に体を乗っ取られた女の子の役。

 

自分の運命を受け入れる覚悟を決めて、苦しみに耐えている姿が、とても印象に残りました。

 

「十二人の死にたい子どもたち」では、ロン毛で威圧的な女子を演じ、

 

「楽園」で、過去のトラウマに耐える女子、「青くて痛くて痛い」では、思わせぶりな女子、

 

アニメ映画「メアリと魔女の花」は、あわて者ぶりがとてもかわいかった。

 

 

役柄もそうなんだけど、ヘアスタイルを変えることで、さらに役になり切っているような感じがある。

 

本作でも、その時の状況によって、色んな服装や髪型にチェンジしているのが楽しい見どころの1つ。

 

彼女の、演技の幅が、作品ごとに広がっていきますね。

 

 

 

さて、志尊淳。トッキュウジャーの、トッキュウ1号。

 

NHKドラマの「らんまん」で、神木隆之介とバディを組んだのが有名。(たけお~ まんたろう~)

 

俺は映画だと「さんかく窓の外側は夜」「キネマの神様」くらいしか見ていないので、まだ未知数。

 

印象としては、ナイーブな演技ができる俳優、というイメージでとらえています。

 

 

アクティブな杉咲に対して、静かに粛々と、彼なりの演技を披露します。

 

このアンバランスな関係性が、物語を深いものにしていくんですね。

 

助けられた側の彼女は、だんだんと生き生きしていくのに、

 

助けた側の彼は、何故かとても、深い闇を抱えている様子…

 

 

ふたりの関係を、じっくりとご覧下さい。

 

 

 

 

原作は、町田そのこの同名小説。(本屋大賞受賞作)

 

たぶん、小説だともっと繊細なんだろうな、と思うんですが、

 

監督が成島出なので、映画は、アプローチが、かなり強めかな、と感じました。

 

だって、「ラブファイト」「八日目の蝉」のおっちゃんだし、もう60代だし。

 

 

「夜明けのすべて」のような、デリケートな演出ではなく、わりとダイナミックでストレート。

 

なので、心を病んでいる人には、少々キツいかもしれませんのでご注意。

 

もともと生命力が強い人が、一時的にうつ状態になるのと、

 

生命力が弱くて、なるべくして心を病んでしまうのとでは、心のホームポジションがまるで違うもんね。

 

 

たまたま、助けられる状態だった時に、何とかうまく、助けることができた。

 

たまたま、弱っていた状態の時に助けられて、生きる力を回復することができた。

 

だからといって、助けた側が強い人間で、助けられた側が弱い人間、というわけでもない。

 

人間というのは、そんなに単純じゃありませんから。

 

(俺も、このことでは、さんざん苦悩してきたからなあ)

 

 

 

 

志尊くんは、微妙なトーンで、彼の切ない生き方を、渾身の演技で表現しています。

 

それは、静かに、脈々と、粛々と、少しずつ、積み重ねられてきたもの。

 

どう見えるかは、観客に委ねられるし、映画の中の、彼女に委ねられる。

 

彼はただ、彼女に、幸せになって欲しかった。

 

だけど、自分には…

 

 

彼の母親を演じるのは、余貴美子。

 

もう、このお母さんを見るだけで、俺は泣けてきますわ~

 

 

 

 

 

 

世の中には、色んな人間がいます。本作にも、色んなタイプの人が登場します。

 

人の気持ちが理解できる人と、全く理解できない人。

 

いや、理解しようとする人と、理解しようとも思わない人、と言うべきか。

 

理解しているはずが、できていなかったり、

 

理解してくれていたものと思っていたり…

 

ああ、面倒くさいなあ、人間って。

 

そもそも、100%理解なんてできないんだけど、

 

一部分でいいから、わかってあげたいし、わかって欲しいと思う自分がいます。

 

 

 

 

人を助けることは、ごく自然なこと。

 

彼女は、彼に助けられなかったら、もう、生きていなかったかもしれない。

 

だから、助けられて、よかったのだ。

 

彼もまた、彼女を助けて、よかったのだ。

 

 

 

せっかく助けてもらったのだから、今度は、彼女が、この子を助けたい、と感じた。

 

周りが何と言おうと、何とか、人間らしく生きられるようにしてあげたい、と思った。

 

そう考えて行動する彼女は、そうすることで、彼女自身の人生を、しっかり生きようとしている。

 

彼から教わった、大切なことだから。

 

ふたりが出会えた、証しだから。

 

 

 

悲しみの連鎖があれば、喜びの連鎖があってもいいはず。

 

悪循環があれば、好循環があってもいいはず。

 

悪いことがたくさんあったからこそ、いいことがあった時の喜びは、一層大きいのだ。

 

 

こんな世の中だからこそ、誰かと心を、分かち合いたい。

 

聞いて欲しいことを、ちゃんと聞いてあげたいし、

 

話したいことを、ちゃんと聞いてもらいたい。

 

同じ周波数で、共鳴し合って、お互いの、生きる力が増すように。

 

 

 

今日もしっかりと、伝え合いましょう。

 

今日という日を、自分らしく生きましょう。

 

 

…52ヘルツで哭いている、誰かの声に耳をすませて。