映画 「生きてるだけで、愛。」
心には、温度がある。 …ちょうどいいか、火傷するか。
本谷有希子原作というだけあって、強烈な一本です。
「乱暴と待機」「腑抜けども…」でもそうでしたが、
壮絶な精神的バトルが、エンドレスに続く感じ…
心を病んだ女が主人公ですが、「おんなのこきらい」よりも、
こっちの方が、はるかにパワフルです。
こういうレベルの映画が作られるほど、時代は成熟したんですねえ。
何を書いてもネタバレになってしまうので、あくまでも、心象風景で書いてみます。
心を病んだ人にも、色んなタイプがいるし、病名や症状の度合いによって、
決まったパターンはありません。
ましてや、自称〇〇とか、病院に行ってない人とか、
もう、バリエーション豊富で、手がつけられませんな。
だから、本作は、主人公がどんな病気なのかに、こだわらない方がいいかと思います。
ただ、この男女の組み合わせだと、こういう風になります、という事例で充分。
大切なのは、自分を安心してさらけ出せる相手に出会えたかどうか、ということ。
世の中には、優しい人もいるし、冷たい人もいる。
でもそれは、自分がそうしたくなる相手かどうかが、大事なんですね。
人と人が結び付く、根本的な部分を、本作は提示してくれます。
心が、苦しい。
誰かに、助けて欲しい。
でも、自分をどう説明していいか、わからない。
友達はわかってくれても、家族はわかってくれない。
先生はわかってくれても、彼氏はわかってくれない。
一番わかって欲しい人にわかってもらえないのは、つらいですよね。
誰もわかってくれないから、会話ができず、苦しさがたまっていく。
やっと出会えた優しい人に、悪態をついて、傷つけてしまう。
だって、抑え込んでいたものが噴き出して、止まらないから…
主人公の女は、はっきり言って、性格が悪い。
もともとそうだったのか、病気でそうなったのかは、わかりません。
しかし、そうなってしまった原因は、きっとあるでしょう。
それを紐解くヒントは、映画の中に散りばめられています。
相手を言い負かすことで快感を得る人は、実は、小心者が多い。
彼氏を罵り、恨みごとを言い、怒りをぶつける彼女は、痛々しい。
これは、「未来のミライ」のくんちゃんに感じたことと、おんなじ。
彼女は、どうして、こんなになるまで、追いつめられてしまったのか。
彼は、どうして、こんな女の面倒を見続けられるのか。
「そこのみにて光り輝く」を、思い出します。
逃げ場のない、行き場のない境遇において、絶望の淵にいて、
唯一、精神的なよりどころを見つけた、ほんの一瞬。
次の瞬間には、また地獄が待っているかもしれない。
でも、今、こうしている時間は、間違いなく、真実。
ずっと、こうしていたい。
今の時間が、永遠に続けばいい。
ひとときのやすらぎが、生きる力を生み出していくのだ。
…愛が循環してこそ、心は、ちょうどいい温度になる。