映画 「傷物語 Ⅱ 熱血編」
人間の心の闇に潜む、本能を呼び覚ませ。
1作目を見たので、また娘と一緒に見に行くことになりました。
いやあ、今回はすごかったですね~
俺の年代だと、ヒットするポイントが、
若い世代の皆様とは微妙にズレると思うんですが、
「デビルマン」と「巨人の星」的な要素が、笑えます。
そうか、これ、講談社だからOKなんですね~(笑)
俺みたいなおっさんが、このシリーズを語るポジションにはないと思うのですが、
素直に面白かったので、俺的にはヒットです。
もう、「ルドルフとイッパイアッテナ」とか、
「君の名は。」とか、どうでもよくなってきました。
上の2作品は、俺的にはもう、賞味期限を過ぎました。
今は、「傷物語Ⅱ」がダントツで突っ走っています。
そのくらい、インパクトがあって、楽しめたので。
俺、嘘はつきませんので、ホントです。
何というか、燃えましたね~
「デビルマン」第2巻の、シレーヌ編とか思い出して、懐かしい。
ヘタレが調教されて、潜在的超能力に目覚めていく過程は、ゾックゾク。
でも、ヘタレって、物凄い力を秘めているってことでもあるんですよね。
「新世紀エヴァンゲリオン」で、
静かな場面が長く続いた後に、アクティブな場面が数秒だけあって、
気がついたら、血がブシュー!
ああ、なんて「ウルトラセブン」なんだろう、なんて感動したものです。
「静」と「動」のバランスは、映画の基本的な骨組みだと思うんですが、
その見せ方とか、タイミングとかは、作り手のセンス。
観客は、チャンネルと周波数を同調させる能力を試されるのです。
でもそれは、あくまでも、受動的なものではなくて、
能動的な性質のものであるべきだろうと、俺は思うんですね。
何を面白がり、何をつまんないかを決めるのは、観客自身。
みんなが面白いから、面白いとか、
ヒットしているから、面白いに違いないとか、
有名だから、面白いに決まっているとか、
そんな感覚で映画を判断する奴は、信用できない。
自分が、その映画で何を得たか。
自分の魂が、その映画を通して、どう磨かれたか。
自分の物の考え方が、映画を見る前と見た後で、どう変わったか。
それが大事だと、俺は思うんですね。
本作を見て、俺は、
自分がずっと忘れていたことを、思い出しました。
俺はヘタレだけど、最弱ってわけじゃない。
「弱さ」を知っているからこその「強さ」だって、持ち合わせている。
だから、自分が暴走してしまうことを、恐れているのかもしれない。
己が感じたことを赤裸々に言えば言うほど、読み手側に見下される。
でも、それを言わないと、本当に言いたいことが見えてこないのだ。
カッコつけてばっかりいる男は、すぐにボロが出てしまうもの。
俺は、自称ヘタレなので、そういう意味では、書く内容は、自由である。
もともと、固定イメージなんてないから。
そういうことを、
人間としての、男としての、生き物としての原点のようなものを、
呼び覚ましてくれるような力が、本作にはあります。
俺の中には、得体のしれない獣が棲んでいます。
それを、封じ込めておきたい自制心と、
それを、解放してスッキリさせたい願望が、常に葛藤しています。
男も、
女も、
自分の本性に気づかないまま、一生を終える人がほとんど。
それは、自分の心と本気で向き合ったことがどれだけあるか、にかかっている。
本作の、会話の駆け引きが、深くて面白い。
恋愛も、命がけの戦いも、自分自身との向き合い方で変わる。
傷ができれば、血が流れる。
痛みを感じるのは、生きている証拠である。
痛いくらい、面白い。
この映画を見ている間だけ、俺は思春期の少年になっていました。
…青春って、いいもんですね☆