メンタルコラム その13 「居場所は自分で作れ」 | 映画熱

メンタルコラム その13 「居場所は自分で作れ」

ずーっとモヤモヤしていたんですが、やっと少しだけ、スッキリしてきました。


やっぱり、心に毒をため込むのって、よくないですね。

リアルではなかなか話せないことも、文章なら自由に書くことができる。

ブログって、精神的なバランスを調整するのに、いいアイテムだと思います。


アメブロを始めてからもう9年が経過しましたが、

ネット上でも、色んな人との出会いと別れがありました。

熱狂的な読者さんもいたんですが、ほとんど長続きしなかったですね…


俺の記憶では、アメブロだと平均、半年くらいでみんないなくなってしまいます。

俺の文章に嫌気がさしていなくなった人。

俺とケンカになって、いなくなった人。

俺からお願いして、いなくなってもらった人。

他の読者と言い争いになって、消えるようにいなくなった人。

個人的な事情によって、ブログを続けられなくなった人…



俺は、人とのつながりを求めて、ここに来ているのではありません。

もちろん、「いいつながり」があるに越したことはありませんが…


「誰かと会える」から、ブログをやっているんじゃないことは、読めばわかりますよね。

俺は、「文章が書きたい」から、ここにいるんです。


色んな人に嫌がらせを受けても、露骨に否定されても、

病気のことで差別を受けても、極悪人扱いされても、やめませんでした。


(さすがに、うつ病を発症した時は、もう終わりにしようかと考えましたが)




俺にとってここは、大切な「居場所」なんです。


誰もが、心地いい「居場所」を求めて、彷徨っています。

「安心できる場所」

「力を抜いて、リラックスできる場所」

「楽しいと感じることができる場所」

「好きなことを思う存分することができる場所」

「ありのままの自分でいられる場所」


そういう「居場所」がある人は、幸せだと思います。



では、「居場所」を獲得するために、必要な要素は何でしょう。


それにはまず、「自分にそこが合っているのかどうか」が第一歩です。

俺のブログには、映画が好きな人もいれば、そんなに好きじゃない人もいます。

俺の文章に魅力を感じて来てくれる人もいれば、嫌いだから来る人もいます。


最初は、そんなに好きだと思わないのに、何度も来ているうちに、

いつしか、映画が好きになっていく人もいるんです。


ブログを始めた当初は、劇場映画の記事にこだわって書いていたので、

読者のほとんどが、男性でした。

しかし、今ではご承知の通り、色んなジャンルの記事を書いているので、

少しずつ、女性読者も獲得しつつあります。


俺のブログって、新作記事を書こうが書くまいが、アクセス数はあまり変わらないんです。

今の記事よりも、過去の記事の方が読まれているみたいですね。

TVでロードショー番組があると、翌日は、そのタイトルの映画記事も読まれているみたい。

いすれにせよ、映画に関心を持ってくれる人が増えてくれれば、俺は嬉しいのです。



俺は、映画の仕事をしたかったけど、できなかった男です。

だけど、映画産業にこうして間接的に貢献できれば、本望なんです。


俺のブログを読んで、劇場に足を運んでくれる人がいる。

のあのあシアターに足を運んでくれて、俺の映画話に付き合ってくれる仲間たちがいる。

好きなことを続けていると、いいことがあるもんですね。



つまり、「居場所」というのは、最終的には「自分で作る」ものだと思うんです。

何もないところに作るのは無理だとしても、何か「素材」を見つけて、

そこを、「居心地のいい場所」にしていく作業が楽しいんですね。


さっきの記事の話題に戻りますが、

「もらうこと」ばかり考えている人は、「創造性」が乏しいものなんです。

「与えられるもの」に「文句」ばかり言って、「協調性」がない。

だから、「気に食わないこと」があると、さっさといなくなってしまう。


雰囲気だけでここに来た人は、ほぼ100%いなくなって行きましたね…

俺の人徳が足りないからこうなったとよく言われましたが、それだけじゃないと思う。

人の「出会い」と「別れ」は、どちらかが「100%悪い」ということはありませんから。


俺を罵って、俺を踏み台にして、次の「新しい出会い」につばがれば、それもOK。

俺の悪口を言うことで意気投合して、読者同士で親友になれれば、それもまたOK。

結果的に「いいきっかけ」を提供したことになれば、俺のブログにも存在意義はあるから。



「ある場所」を見つけ、そこで誰かと出会い、いい関係を築いていく。

つまり、最終的には、自分がそこの「一部」になっていくんですね。

それができれば、「自分」は、そこに「必要な存在」になる。

逆に言えば、「自分」がいるからこそ、その「居場所」は「機能」するんです。


いささか、自惚れた表現になってしまいましたが、そういう要素が大事なんですね。

誰かとぶつかっても、摩擦が起きても、そこを「よりよくするため」だと思えば、

結果的には、いいものが残るんじゃないかって、俺は思うんです。



俺が、飲み屋に通う理由も、そういうところにあります。


ご承知の通り、俺は金持ちではないので、そんなにちょくちょくは行けません。

でも、いざとなったら「行く場所がある」というのは、精神的にいいものなんです。


「行きつけのお店」というのは、簡単にゲットできるものではありません。

お店のボスと親しくなり、お店で働く従業員にも受け入れられてこそ、

そこでの自分なりの「ポジション」を獲得することができるんですね。


「もらう」ことだけを考えている「欲張り」な人間は、自然に淘汰されていくものです。


俺は、その店の「お客」として、気持ちよく飲みたい。

お店の側も、「お客としての俺」に、気持ちよく飲んでもらいたい。

そういう「いい関係」を築いていくことが、実に楽しい作業なんですね。



俺が24歳でこの街に住むようになってから、もう23年が経ちました。

すでに、人生の半分近くを、ここで過ごしていることになるんですね。


数えたら、スナック4軒、カフェ1軒、焼き鳥屋1軒、居酒屋2軒の行きつけがありました。

知らないうちに、「銀の匙」でいうところの「八軒くん」になっていました(笑)



ここで、ちょっとまとめてみましょう。


①まずは、「居場所」になる「候補」を「見つける」こと。

②その場所に「ふさわしい自分」になれる要素があるかを考える。

③自分の「できること」で、その場所を「よりよくしていく」ことに協力する。


この3つのステップをクリアすれば、だんだんと「居心地のいい場所」になっていきます。



「場所」というのは、「人が集まる空間」なのだから、「生き物」なんです。

だから、「楽しい時」もあれば、「苦痛を感じる時」もあると思います。

しかし、その「場所を愛する心」があれば、そこにいられるんです。

今日感じた「苦汁」は、次に来た時には「甘美」になるかもしれない。


そこにいる「自分」が「成長」することで、「場所」も「成熟」していくんですね。



まずは、「見つける」

次に、「気づく」

そして、「築いていく」


これが、健全な人間関係の基本だと思うんですね。



どちらが一方だけが苦痛を味わう関係は、何かが間違っている。

「強者」と「弱者」というだけの関係は、すぐに崩壊してしまう。


それぞれが「自分の役割」を「楽しく」こなしてこそ、よくなっていくもの。

それが、47年悩んで生き抜いてきた俺という人間の、生きるスタイルなんです。




ブログに来てくれる人。

一緒に楽しく飲める人。

映画の話を、熱く聞いてくれる人。

カラオケで熱唱して盛り上がる人。

そして、一緒に映画館に行ってくれる人。


みんな、大切な俺の仲間であり、俺の心を構築してくれる宝物なんです。



仲間の数だけ、「居場所」がある。

出会った心の数だけ、「冒険」がある。


「支えられる喜び」は、「支える喜び」となり、

いつしか「支えあう喜び」に変わっていく。



そういう空間が、俺の考える「居場所」です。


今宵は、どの「居場所」で過ごそうかな。