選んでいるのか、選んでしまっているのか | Live the life you love

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じぶんの人生を愛せる
そんな風に生きていこう

たとえ今が受け入れがたいものであったとしても、これで終わりじゃない

ほんの少しの勇気とやさしい気持ちをもって、選んでみたい道を選んでみよう。

そんな想いで綴るブログ。



こんにちは!


洗濯物を干しながら気づくこと。



"どんな選択も、さらなる幸せに向かうためでしかない"

そんな前提で
先月末に、結婚制度を採用し続けることを終わりにした私。
今、どんな生活をしているかというと。
表面上はとくに変わりません。
離婚後も同居しています。
市役所では、離婚届を出した後に、世帯を分ける申請書を記入しました。


どっちみち、息子が高校を卒業する2年半後には「解散」なんですよ!
だから今、無理矢理に生活を変える必要は、私たちにとってはないわけです。それよりも大切なことが何なのか、私なりにあるので。

息子は、高校卒業後は、大阪の音楽の専門学校に行くらしいです。
進路希望調査の紙には、第1希望も第2希望も同じ学校を書いていました。決めてるんだね^ ^

大人は大人で、組織の中でキャリアも積むことを選んだ人は、異動エリアが拡大することもあるだろうし。
実家の親の様子だとか、そういう事も変わるかもしれない。

そもそも、そういうのすら関係なく
「変化すること」が自然の法則。
住まいもその前提の上に設計しているので、離婚なんかとっくに織り込み済み。


とはいっても・・・
最初から、自分の心に相違のない選択と行動をできたわけではなく、何年もかかっています。


ついこの前までは、洗濯物を干している時に、一瞬疲れる自分がいるのをとらえる瞬間がありました。

家事負担に疲れているのではなく、
結婚状態に賛成できないでいるのに
その最たる表現のような「夫のパンツを干す」という行為を毎日選んでしまっている
そんな自分に、毎日少しずつ疲れていました。


5月の末に届を出した後、
生活のカタチは、今は大きく変わっていないので
相変わらずパンツも干します。


が、疲れていない自分に気づくんですよ。


じぶんが選んで、今日もパンツを干しているからです。



以前は「選んでしまっている」
今は「選んでいる」



たった紙切れ1枚で、全く違います。



一緒に暮らせるんだから、離婚する必要ないんじゃない?ってよく聞かれましたが、当時から私にとっては全然違うと思っていて。逆に、籍を入れたまま別居の方が意味がないんです。私にとっては。
もし仮に、「???」と感じても、いったんスルーしていただき、次を読んでくださったら幸いです^ ^



パンツを干している時に「疲れる」理由。
それは、選んでしまっている自分を責めていたからです。じぶんに疲れるんですよね。

おまえダメだな。弱いな。
何もできないまま、今日もここでパンツなんか干しちゃってさ・・・そんな声が頭の中で響いていたように思います。
毎日パンツを干すたびに、自分の言葉で自分を傷つけました。
そしてそれは、少しずつ少しずつ、私から力を奪っていきました。

そんな日々を続けていたら、以前なら勇気をもってできた全然関係ないことも、なんか億劫になってしまいました。
どんどん自信がなくなっていったんですよね。
そりゃそうですよね。毎日「おまえダメだな」って言葉を自分に浴びせてるんですから。


自分の想いや考えに相違のない選択をした。
同じ行為であっても、自分で選んでいるのと、仕方なくしているのとでは、心持ちが全く違う。




やたらイラつく
やたら疲れる
そんな場面に遭遇するようなら、自らに問うてみてください。

自分で選んでいる毎日の中に、こんなことがないかどうか
↓↓↓

変えることが、途方もないことのように感じるあまり、仕方なく選んでいるようなことがあるや・なしや・・・



変えよう!そう思うと果てしなく感じるかもしれません。だから・・・


選び直す
ただそれだけなんだと思います。
そしてそれは、本当はいつでもできるんだと思います。