無言の愛情。 | Live the life you love

Live the life you love

じぶんの人生を愛せる
そんな風に生きていこう

たとえ今が受け入れがたいものであったとしても、これで終わりじゃない

ほんの少しの勇気とやさしい気持ちをもって、選んでみたい道を選んでみよう。

そんな想いで綴るブログ。



先日のこと。ピンポーンとやって来たのは、熱心に布教活動されているのであろう女性2人。


幸せはお金ではないというような趣旨の話。


にも関わらずぅ・・・
「このようなキレイなお家に住まわれていて、今とっても幸せなんじゃないでしょうか?」と問いかけられた😱


え。。。
絶句・・・・

絶句というか・・・もし声に出してよかったのなら「べつに」って言っていただろう。笑
ていうかその質問、矛盾しとる。笑笑


あんた、なんも分かっちゃいないね。
「幸せはお金ではない」の本当の意味を体感レベルで分かっていないから誰の心にも響かないんでしょうよ。何軒のお家をまわってもたいして変わらないでしょうよ。
キレイなお家=幸せ 
これは全ての人に当てはまるとは限らない。確かに物質的には豊かで幸せの象徴なのかもしれない。

でも彼女は率先して「物質的豊かさ≠幸せ」を語ってるんじゃん!?それ言うかね!?


私の幸せの概念では、たとえばキレイな家やデカイ家に住むことがもろ手をあげて幸せですーー!ではないんだわ。マイホームはべつに夢でもなんでもないんだわ。


毎日頭痛がして。心を殺して死んだように息をして・・・「今」から目を背け、あと数年の辛抱だと毎日念仏のように唱えていた毎日。それは一年も前のことではない。
そんな自分に気づいたとき、息が出来る場所を取り戻そうと決め、「今」に対して妥協したり諦めたりすることをやめようと思った。
そしたら流れが生まれた。今の環境はその結果のひとつに過ぎない。幸せなゴールでもなんでもないのだよ。「今」でしかない。


苦しみから生まれたひとつの今のカタチ。
だから、必ずしも幸せの象徴ではないんだわ。
誰がどんな風に思ってくれてもべつにいいけど、「幸せではないですか?」とYESに誘導されるのは困る。


私の幸せの概念において、彼女の言うそれが幸せかどうかは正直言い切れない。

ただ確かなのはー
嬉しいことではあるということ。過程がものすごく楽しく豊かなものであったということ。今できる最善をしたということ。
助かったーと全ての存在や縁に感謝しているということ。
頭痛がなくなったこと。かろうじて息しなくてもよくなって、生きてる感覚を取り戻した感じがしていること。etc

言い切れるのはただただそんなようなこと。

このことと私の幸せの概念とはすべてが一致しないということ。

幸せだと言い切らないことに対して、物質的豊かさ由来の批判が向けられることがもしあっても、甘んじて受ける。それくらいの腹は最初からくくっている。


だから、先日の彼女の「幸せなんじゃないですか?」に対して返事をしなかったこと。それは私の最大限の愛情だったんだよ。"べつに"って言わないでそっとスルーしたんだから。


物質的な豊かさが幸せではないと声高に言うのならば、他人に対しても一貫した態度で臨んでおくれ。
物質的に豊かだからその人は幸せなんだろうと決めつけたり、ましてや勝手に妬んだりしないことだね。



人にはそれぞれの背景がある。
目に見えないそれを敬意をもって推し量ること。


そういう人でありたいとあらためて思った、知らない人とのちょっとしたやりとり。