自然界との分離/身土不二の心 | 【フードケア】シンプルでパワフルな体質改善

【フードケア】シンプルでパワフルな体質改善

どんな方法でも治らない不調を改善する最終手段は食べ物&食べ方

横浜の家は私が生まれ育った実家です。


他県で横浜と言うと都会のイメージが強いようですが

意外とそれは中心部だけだったりもします。

特に私が暮らすあたりは一番緑が多いというか

一番田舎な感じのエリアにあたるかな。


子供のころは当たり前に田んぼも畑もいっぱいあって

虫をとったり、れんげを摘んだりしていたし、

川でザリガニをとったりして遊んでいました。

下校途中の木のぼりが楽しくて

習い事に行かずに怒られたこともあったっけ。

空き地が放課後の遊び場だったりもしましたよね。


わたしは時折入院するほど病弱でもあったし

内向的な室内遊びが好きな子供でしたけれど、

それでも自然に包まれていたのだなぁと

自然がいろいろなことを教えてくれていたのだなぁと

こうして振り返ると思うことができる時代でした。


車通りから入った家の前の路地も緑がいっぱいでした。

路地から片側だけに家が並んでいて、

もう片側はずっと空き地というか原野(?)で、

近所のおじさんがのんびり畑をしていたり

子供たちの探検場だったりした場所です。


家の近くには雑木林や竹林もあり

四季折々美しい景色を楽しむことができました。

桜が咲いたり、木イチゴがなったり、紅葉になったり、

子供ながらに四季の移り変わりを感じてました。


あれから数十年。


田舎であるはずのこのエリアも

さらなる住宅建設ラッシュです。


年数回横浜へ戻る度に新しい家が施工中で

「本当に不景気?」と思ってしまうのは私だけでしょうか。


幼いころの景色は年々変化しています。

きっとそれはどこでも起きていることなのでしょうね。

日ごと緑が消え、空が小さくなる・・・。


そんなことをここ数年思っていたのですけれど

今後緑はゼロになる方向なのかな・・・と思う出来事が・・・


新しくこの地に越されて来た方が

近隣の木々の落ち葉が邪魔だから全部切るようにと

その雑木林や竹林の所有者に要求しているそうで

どうやらそのように話は進むようです。


全部・・・


昔から暮らしてきた人にとっては

「落ち葉の季節だね」なんて言いながら

各自落ち葉を掃いては捨てていました。

自分の家の木のものかどうかは特に関係なくて

そこに生きるものとして自然な流れでしかなかった。

(私は一時で、ほとんど親がやってくれていましたが・・・)

落ち葉がつもった雨どいの掃除も

ずっと自費でやってきていました。


春には花を秋には紅葉を楽しませてくれて、

子供のころには多様な植物が遊び道具で、

共に生きるものとして当たり前にあった自然界。


考えてみればもともと木々が生きていた場所に

後から人間がやってきて暮らし始めたのだから

その地で共生して生きていくことが当たり前だったのでしょう。


でもいつのまにか人間と自然界は別れてしまったようです。


マクロビオティックには身土不二という大切な教えがあります。

マクロビオティックの世界のものだけではなく

もともと日本人が大切にしてきたものです。


「暮らしている環境とわたしたちはつながっていますよ」


という意味です。


マクロビオティックの授業では

地元の旬の食材を食べましょうという意味になります。


でもそれは単に食べ物の話だけではなく

わたしたちと自然界はつながっているという教えですから、

自分を大切にするのと同時に

生きている環境を大切にするということにもなります


自分の健康のためだけに自然栽培のお野菜を選んでいるわけではなく、

同時に大地を守るために自然栽培のお野菜を選んでますよね。


自分の手荒れやけい皮吸収をさけるために

洗剤を使わなかったり選んだりしているわけではなく、

同時に水を汚してしまわないように洗剤を使わなかったり

生分解性の高い洗剤を選んで使うわけですものね。


それがめぐりめぐって未来の子供たちへ

美しく健康で豊かな自然環境・地球を守り残すことになる。

結果としてね。


植物であれば、動物であれ、

自然な形で育ったものを食べていた時代は

理屈などなくても自然の大切さを知っていました。

自分たちが自然に生かされているということを。


けれど、世の中には自然な形で育ったものはほんとうに限られていて、

今では大半の食べ物は工場で作られる時代。


マクロビオティックの先代の先生方が案じていた通り・・・

人はあまりにも自然から離れてしまった。


「自然は邪魔」

「自然は敵」


感覚としてもうまったく違うんだなぁと。


木がなくなることはさみしいけれど

それがその方たちの決定なら仕方ないと思いますが、

「みんなそいういう感覚、そういう世の中なんだ」ということが

わたしには自分の想像以上にショックだったようで・・・。


ちょっとこころがぽっかり。


なんだか山の家が恋しいです。


少なくとも山の集落の方たちは

自然の恩恵も脅威も生々しく受け取る生活をされてきたから

身土不二という言葉を学ぶことなどせずとも

その環境の中で美しくたくましく暮らしておられます。


経験として自分たちが自然界にしたことは

めぐりめぐって自分たちのもとへかえることをご存知なのでしょう。


久司先生と「地元に場所を作る」と約束して十数年。

微力ながらも模索しつつ、活動をしてきたけれど、

「わたしはやれることをちゃんとしてきたのかな?」

「これからしてゆくべきことはなんだろう?」

と、見つめなおす年末がやってきたようです。


来年の私、さぁ、何をする?


わたしのため、

地球のため、

社会のため、

未来のために。




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わたしが正しいとは思っていなくて、違う価値観の方たちを否定するつもりもなくて、その上で文章を書いているけれど、もし不愉快な思いをされた方がおられたらごめんなさい。