最近ご縁をいただいた方と一緒に山を歩く機会をいただきました。
昔から運動苦手で体力もないわたしは基本的に歩くのも苦手。
自然は好きだから緑の中へはたびたびでかけてゆくのだけれど、
本格的な登山靴を持っているけれど実は登山はしていなくて
出来上がった山道をのんびりピクニック気分で歩くくらいだったりします。
だから、ちょっぴり不安もあったのだけれどこの日は歩いてみたくて・・・。
なぜって・・・この緑の先には・・・
この小さな流れから水をひき
ひとつの集落、数十人の人のいのちを支えている。
車をおりてからこの水場までは、
山の尾根を越え、道なき道を歩き、1時間。
斜面に30センチ程度の道らしきものがあるところもあれば、
山の斜面そのもので道もなく片側は垂直の崖というところもある。
ここを80歳近いおじいちゃんも水場のお掃除をしに来るというから驚くばかり。
ここを80歳近いおじいちゃんも水場のお掃除をしに来るというから驚くばかり。
その地で生まれ育った方のからだの強さと適応性、感覚なのでしょうか。
私たちを案内してくれた地元の方も何事もなくしなやかに歩いていらしたけれど
わたしは一歩一歩を確認しながら、木と木に結ばれたワイヤーをつかみながら、
どうにかこうにかたどりついた感じでした。
水を口に含むとその景色が溶け込んでくるような感じです。
山の中にはある部分だけ真っ黒な土のところがあり、
それは昔炭焼き小屋があったところなんだと教えていただきました。
もちろんその焼いた炭も人が担いで山からおりたとうかがいました。
しかもそんな遠くない時代の話であるのですよね。
昔の方々がご苦労された様々なことを、
負担を軽減し、危険を軽減しようというところからできた現代社会。
できあがったその便利な社会しかしらないわたしたち世代。
特に町に生まれ育ち田舎もなければ、
それらを垣間見ることも、祖父母から伝え聞くことも、肌で感じることもない。
山や水場へ行かれたことはもちろんだけれど、
いろいろな暮らしや歴史のことを教えていただくことができて本当に感謝です。
いつもすてきなご縁に導いていただいているわたしの人生。
ありがとうございます。
すべてのいきもののいのちを支えるお水、大地、空気・・・
自然や地球に感謝と畏敬の念を持ちながら
日々を大切に調和をとって暮らしてゆかれたらと思うのです。
単に暮らし方をまねるということではなくて
先人たちの未来を見据えた生き方・考え方のように
未来を、未来の子供たちの笑顔を思いながら
ひとつひとつの選択を大切にしてゆかれたらと。
そしてそれは都会でも田舎でもできるのだと思うのです。
たまたまわたしたち夫婦はもともと大地に近いところで
できることは自分たちの手で暮らしを紡ぎたくて移住を決めたけれど。
そういえばフラを習っていたときに「カーネの水」という古典フラを習いました。
その教えがまたひとつわたしのからだの中にしみわたったような
そんな水場までの山歩き時間でもありました。
感謝。