たまたま耳にしたスーチーさんの言葉が耳に残った。
自分のための記録として残しておこうと思います。
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私は国民に自立してほしいとも思っています。
私や、私の党やほかの党に頼って、自分の望みをかなえようとせずに、参加してほしいのです。
人生でただで手に入るものは何もありません。
何かを求めるのなら努力しないといけないのです。
何もせず、ただ希望しているだけ、ほかの人がやってくれると期待するだけではだめです。
自分でやらなければなりません。
誰でも究極的には自分しかありません。
勇気にはいろんな形があります。
体で示す勇気だけではありません。
道徳的な勇気、その最高の形は、自分を真正面から見据えて、
自分が正しいことをしているかどうかを決めることです。
「恐怖からの自由」。
1人1人が自らの心を恐怖から解き放ち、自由を求めないかぎり国は変えられない。
欠かせないのは何事も恐れない勇気。
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ここで何かを語れるほどわたしは彼女のことも、歴史のことも、彼女の国のこともわかっていない。
ただこの言葉が彼女の国だけに言えるものではないなぁと思うと同時に、
何よりわたしのこころに残って、文字で残しておこうとふと思ったのです。
「自立」はクラスでもいろいろな場面で出てくる言葉。
「恐怖と愛」もまたよく出てくる言葉。
マクロビオティックは食べ物の力をかりて恐怖を手放し、
愛を育み、自立をする生き方。=自由。
そこにはちょっぴり勇気がいる。
それまでのわたしと違うことをはじめる勇気。
でもそれはとてつもないものではなくて、
白米を玄米にしてみる勇気だったり、
白砂糖を甜菜糖に変えてみる勇気だったり、
時には家族や友達とシェアする勇気だったり。
実はマクロビオティックに限らず「新しいこと」とか「変える」ってことは
小さな勇気の積み重ねなのかもしれない。
外へ向いた勇気に見えて、必要なのは自分に対する勇気なのかもしれない。
あ、記録のつもりがまた語りだしてしまいました・・・。
ともあれ・・・
さぁ、わたしはわたしのできることを精一杯。
今日もありがとうございます。