昨日

【霜降(そうこう) 初候 霜始めて降る】

を迎えました.



「毎年,異常気象だのなんだの言うけど,それでも季節は巡ってくるね

 自然ってすごい」

と今日も患者さんと話していました。

 

インフルエンザが流行し始めたので

保湿・うがい・手洗い,美味しいものを食べる,休養する、爆笑するなど

自分の身体と心に優しく暮らしたいです.

 

 

​家庭の役割

以前にも

ブログに書いた気もしますが

私が小児の作業療法の「感覚統合」という治療法を

最初に教えていただいていた先生の言葉で

特に大切にしているものの一つに

 

 

子ども達は,学校・幼稚園・保育園で十分に頑張っている.

家族が訓練をしてしまっては,息をつく場所がなくなってしまう.

家はHOMEであり

リラックスできる安全な場であることが何より大切である

 

 

というものがあります.

 

 

宿題を見てあげるのが辛い


先日

知的に少しゆっくり目で

見通しが立ち難いお子さんを持つ親御さんとお話をしました.

 

常に近くにいて厳しい口調で監視されている元では勉強をする

 

でも

 

家では宿題の途中でふざけてしまったり,

かなり雑に行ってしまったり

ドリルの間違いを直すことには取り組めなかったり

そもそも宿題に向かわせるまでに相当の努力が必要である

 

ことが

とても負担で

 

時々,大きな声を出しそうになってしまったり

どうしてよいのか分からない

 

と涙を浮かべながらおっしゃっていました.

 

 

挑戦すること

 

 

リハビリ室でも私の提案に少しでも苦手な要素を感じると

 

「むずそうだからいい」

 

と却下して

次々と今まで遊んだことのあるおもちゃや遊具で遊び始めることが多いです.

 

 

I+1

の課題を提示すること

 

という考え方は有名だと思います.

 

これは課題を出す側が

 

少し頑張ればできるものを提示する

 

というものです.

 

「できそうだ」「出来なかったときは,サポートを得られればできる」

という見通しがあるから挑戦できる.

 

監視して

無理やり頑張らせること

最大限の能力を引き出した

 

という風には

私には思えないのです.

 

生活年齢として求められるものももちろんある.

経験を奪ってしまってはいけない.

能力を過小評価してはいけない.

 

とは思うのですが

 

家族団欒の時間を割いて

家の中の空気が不穏なものになると解っているのに

しなくてはいけない宿題なんて

果たしてあるのだろうか

疑問に思います.

 

苦手なものを得意な人と同じようにこなせないことが

いけないことだとは思えない.

 

 

errorless learning

 

 

私たちは治療場面で

OT室に入ってきたときよりも帰るときに

 

「できた」

 

と感じてもらうこと

つまり

 

成功体験を積む時間を提供すること

狙い通りの作業・活動を体験してもらうこと

 

の重要さを刻み込まれました.

 

なので

対象となる方が自分の意図した状態にならなかったときは

評価が甘く、介入が適切ではなかった

という私の責任です.

 

 

いろいろな考え方があり

それぞれ根拠があるのだと思います.

 

でも

一生懸命やっても認められない経験を積み重ねたら

 

やればできる

 

 

とは到底思えない.

 

 

 

自分でできた

理解できた

 

達成感を味わっている人の表情は

宝石のようにキラキラしているように見えます.

 

そして

その体感が挑戦する気持ちを育む

のではないか

と感じています.


時代の過渡期は荒波のように感じますが

そろそろ

きっと

良い方向に変化する

と信じて

私にできる事をコツコツと取り組みたいです.