昨日、職場にお知らせが来ていた、小児分野の言語聴覚士さんのカンファレンスを聴講してきました


STさん✨

リハビリテーション分野の口腔機能とコミュニケーションの専門家。

すごく、すごく、素敵なお仕事です


コミュニケーションは言語が1割、仕草や声のトーンなどのnon-verbalが9割とも言われています

会場では音声入力を修正してくださる方もいる同時字幕システム(?)がスクリーンに映し出されていました


「さすが、STさん👏🏻」

っていう優しい空間づくりがなされていました✨


STさん、ソーシャルワーカーさん、幼児教育・保育の先生、お医者さんからたくさん、たくさん心に響くお話を伺うことができました


​こどもの意見を聴く


イングランドの子どもの支援計画(アセスメント)は子どもに語りかけるように作成するそうです


「◯◯くんは…」で始まるのだそうです

それは、ある程度大きくなった当事者の方のそのように書類を書いて欲しいとの声が活かされたとのことでした

そして

「自分からみた自分」

つまり、子ども本人が主語になっているのだそうです



日本でも、2022年にこども基本法が成立しました。

行間を読む、空気を読む文化のある日本において、自分の意見を上手に述べることが苦手な大人たちが多い中、「子どもの意志表明」の機会を作るのは

「なかなかハードルが高いかなぁ…」

とぼんやり思って聞いていました



私が学んでいる感覚統合療法でも

「子どもの能動性を見逃さないこと・引き出すこと」

「子どもと対等であること」

を大切にしています


なので

本気で(?)SIをされている先生方は子どもたちにあだ名で呼ばれたりしていて、「先生」とは呼ばせません

私はもともと「先生」と呼ばれるのが苦手なので、普通の(?)患者様にも名前で呼んでいただきたいと伝えていて、それは子どもにも言うようにしています


病院に受診されるお子さんは

大人からみて、「何か困りごとがありそうだ」から来ていて、自分の意思ではなく、ここにいるように思います


3年生くらいになった頃に

「ここに来るのは嫌じゃないけど、病気じゃないのに、病院に来たくない」

と言っていたお子さんがいました

それは、ひとえに私の力不足で、効果的なセッションを提供できなかったということです

「もちろん、病気なわけじゃないよ、頑張り屋さんで素晴らしく優しいのは知ってるよ」

「次、来なくても良いよ、けど、何か相談事があったら、いつでも来てね」

というのが精一杯でした


保護者の方や周りの大人の

「もう少し、字を上手に書けたら」

「ピアニカを吹けたら」

「縄跳びを跳べたら」

「集中できたら」

などなど

という想いを背負って、来てくれてたのだなぁ

と振り返りました



子どものことは子どもに聴く


これからは

もっともっと、心からの声をそして発している空気感を聴いていこう

と身が引き締まりました


個性は石垣のようなもの

小児の精神科医の柴田先生が


「子ども(人)は、レンガのように同じ大きさ、形なのではなく、石垣の石のように、大きいモノもあれば、小さいモノも、形も様々なモノなのではないだろうか…

ちょうど、そのそこにピッタリ入る場所がある。


できないことができるようになることも素晴らしい。

しかし、できる・できないに優劣はないのではないか。

その子ができる、輝く場所で活き活きできる活動を経験すること、役割を持つことを提供していきたい」


というようなことをおっしゃってました



​できないを頑張らなくてもいい

皆んながみな、同じところを目指さなくても良い

できなければいけないことなんて、本当は少ない


だから

自分を責めなくてもいいし

自分にイライラしなくていい


自分にできることをしよう

できない事は、他の誰かにお願いしていい


昨日のシンポジウムに参加されていた方々は本当に優しくて、

「あぁ、世の中には賢くて良い人たくさんいて良かった」

と幸せな気持ちを味わいました💚



    

子どもはだんだん人間になるのではなく、

すでに人間である
Dr.コルチャック(ポーランド、小児科医)


親御さんのお子さんを想う気持ち

お子さんの親御さんが大好きな気持ち

が時々、すれ違っているように感じることがあります


優しい気持ちで本当の気持ちを伝えあう

様々な経験をともに積む

ことが

それこそが尊いように思います


子どもがいない私からしたら

子育てをしている人たち

というのは

もう、それは、本当に尊敬しかないのです


今日も、たくさん、ありがとうございます