徳子は、今でさえ独り者だが一度は結婚した。
市立大学の看護学科を卒業して3年、昼も夜もなく働いて疲れていた頃だった。
たまたま車を買い替えようと出かけて入った店先で、所謂イケメン男性と車の趣味が意気投合して仲良くなり、
ほんの数か月付き合っただけで結婚した。
もしかすると本当は仕事を辞めたかっただけだったのかもしれないが、当時は運命の人だと信じていた。
披露宴で友達が歌ってくれた「部屋と何とか(忘れてしまった)と私」という永遠の夫婦愛を綴った歌に登場するような「私」に絶対なってやると思っていた。
けれどもなれなかった。
優しいと思っていたその男性は単にあまり物事を考えたくない人で何でもかんでも、「好きにしていいよ」とか「別にいいんじゃない?」と言う人だった。喧嘩にはならないかわりになんの相談相手にもならない人だった。
憧れだった専業主婦に半年で飽きてしまい、再び看護職についた。
夜勤をしないことには職場での肩身が狭くて、やらないわけにはいかなかった。
段々と夫婦の距離は離れ、睡眠パターンが異なるので寝室も別々になった。
それでもまだ食事だけはできるだけ用意して一緒に食べていた。
ある時、普段は家事など手伝ってくれることのない彼が率先して皿洗いを始めた。
それは、所謂、夫婦の夜の営みということの誘いだった。
相手が夜勤連勤で疲れていようがお構いなしのその一件は、徳子が心のシャッターを下ろすのに十分となった。
気が付くと離婚届けに印を押し、勤務先近くのワンルームマンションに引っ越していた。
もう十年も前の話だった。
あの時思ったことがあった。
一人でいるよりも二人でいるのが淋しいなんて・・・と。
それでも、色んな嫌な事があっても、我慢して離婚なんかせずに添い遂げていたなら、
老後にはご褒美で穏やかな二人の幸せとか貰えるのかなあ・・・と。
結局、自分は我慢できずにお一人様人生を選んだが、それは寂しいことなのか未だわからない。
そして、恐らく我慢して(かどうかは定かでないが)結婚指輪をはめ続けている隣のご婦人は、
夫ではない男性と温泉宿に泊まり向い合せで、日本酒を差しつ差されつで、よろしくやっている。
お互いの家族のことなども話しているところから察するとかなりの訳ありカップルには違いない。
不倫なんて、何一つ褒められてことはあり得ないと思っていた。
だがしかし、一時流行ったお昼のテレビドラマで不倫に溺れる主婦の台詞が、脳裏に蘇った。
「自分に何の関心も示さなくなった夫に優しく笑顔で接していられるのは、他で大事に扱ってくれる男性がいるからよ」
という内容だったと思う。
それもまた、正解なのか不正解なのかは証明仕様がない。
そもそも、結婚してもずっとお互いを大切にしあえる夫婦関係はどうやって築くことができるのか、
教えてもらえる学校があれば入ってみたいかもしれないが、時すでに遅しだ。
いや、人生百年時代、もしかするとまだこの先にドラマが起こったりするかもしれない。
ひとり、苦笑いを浮べながら手酌で今度は日本酒をあおる徳子だったが、
今度は左隣のカップルの女性からの視線に気が付き、はっとする。
ひょっとしてそうかもと思っていたがやはり、あの浴場でシャワーを浴びせてしまった女性だった。
向かい合わせに座っている男性はかなり年下に見えた。
女性も温泉で見た時とは違い、綺麗にお化粧をして髪をアップに結いあげていて浴衣を着た姿は、まるで別人だった。
今度はまるでお一人様の徳子を憐れむような眼差しでチラリと目をくれる。
女は、相手の男性にご飯をよそってやったり、甲斐甲斐しく世話をやいては時折、甘ったるい声で
「明日はどこに行くう?高知の方まで行ってみるう?だったら早く起きなくちゃねえ・・」
と話しかけているも、男性の返答は聞こえてこない。小声なのか無口なのかわからないが、女が嬉しそうなことは確かだった。
徳子はシャワーをかけてしまって不機嫌にさせたであろう相手が、そんなことは帳消しになっているに違いないことに安堵した。
旅は、どんな旅であろうと少しでも楽しい思い出が多いに越したことはない。
もみじ川での楽しい鮎釣りを夢にみながら床についた徳子は、翌日は那賀川添いを更に上流へと車を走らせた。
新緑の中、清流那賀川を見下ろしながらのドライブは快適この上なかった。
渓流釣りの秘境とされる木頭川をも通り過ぎると剣山の南面を走る。
ぽつぽつと民家や郵便局などがあるだけで、恐らく何十年も変わってないであろう景色が続く。
そう思っていたら、いきなり道沿いに見たこともないような近代的なコンビニが現れた。
いつかテレビ番組で見たような気がする、その名も「未来コンビニ」
決して通り過ぎれないオーラを放っている。
中に入って更に驚くことになる。
もはやこのコンビニさえあれば生きていけるであろうと思うほど豊富な品揃えが実に美しく売られている。
日用品からおむつに香典袋、お菓子類も充実しており、当に痒い所に手が届く様なラインナップだ。
地元の名産品木頭の柚子果汁があるのも素敵だ。お洒落なカフェメニューにオープンテラスまであるではないか。
店内には誇らしげに「未来コンビニ」が勝ちとった様々な賞が掲げられ、壁の液晶画面には木頭村や那賀川の美しい自然や日常が映し出されている。未来コンビニは未来の子供たちのために創られたらしい。
レジでカフェラテを注文した徳子は店をでてオープンテラスの白いプラスチックの椅子に腰掛けてほっと一息ついた。
未来なんていうキラキラした言葉が眩しかった。
自分の未来なんてもう考えたって無駄じゃないかって思っていた。
せいぜい好きな鮎釣りをして、そのうちお一人様で消えてしまうだけだろう・・・と。
けれども、キラキラした未来コンビニを見ていると何だか不思議と心がワクワクしてきた。
今年もまた鮎の友釣りに行こう。
今度は鮎だけじゃなくて、きっと自分の友達も見つけよう、未来は今日の明日の積み重ねだ。
「ふふふっ、なんか売れない小説家みたいな事言っちゃってる~、あたし。」
徳子の運転する軽四自動車が、再び来た道を走りだす。
新緑の国道195号線をパールホワイトの車体が、陽の光を浴びてキラキラと輝きながら小さくなって山合に消えて行った。
~完~