皆さま、新年明けましておめでとうございます。
良いお年を迎えられたことと思います。
私は今年のお正月はのんびりと家で過ごしています。
初詣は人手の少なくなった五日に行こうと思っていますし、例年なら血が騒ぐ初売りにもなぜか気が乗りません。
暮れの忙しさが嘘のように、緩やかに時が流れていきます。
そして今日は、数年前に録画したままになっていた映画 "マイライフ・アズ・ア・ドッグ" を観ました。
1950年代のスウェーデンを舞台に、幸薄い少年の成長をユーモラスに描いたこの映画、昔一度観たきりなのですが、なぜかいつまでも胸に残っていました。
胸を患う母親(おそらく精神的にも)をひたすら慕いながらも、やることなすこと、全て母を怒らすことばかり。
心の拠り所の犬のシッカンとも離れ離れにさせられます。
悲しい気持ちになる度に、実験のために宇宙船に乗せられた可哀想なライカ犬のことを思い、そして世界中の不幸な事故に遭った人々のことを思い、それよりは自分は幸せだと、自分をなぐさめるのです。
そして、結局、母親とは別れなければならず、田舎の叔父さんの家に預けられることになります。
そこでは、豊かな自然と友だち、善良な人々に囲まれ、それでも難しい人間関係もあり、一人一人抱えた弱さや寂しさがあり。
この映画のラッセ・ハムストレル監督の他の作品には、
"やかまし村の子どもたち" があります。
その原作は、"長くつ下のピッピ" で知られるリンドグレーン作の児童書です。
実は是非子どもたちに読んでもらいたいと思っている本なのです。
スウェーデンの田舎に暮らす子どもたち。
放課後はもちろんのこと、夏休みに至っては、遊び過ぎて死ぬのではないかと思うくらい遊ぶのです。
テレビもゲームもYouTubeもありません。
あるのは、広い自然と友だちのみ。
今の時代の子どもたちが、こんな世界に放り込まれたら、一体どうなるのでしょうね。
退屈で死にそうになるのか、それとも楽しく毎日遊ぶのか、、、
"マイライフ・アズ・ア・ドッグ"の、不幸な境遇の少年の、繊細な胸の内を思うと涙が出てくるのですが、それでも、ただただ不幸ではなく、ユーモアと希望が見えるのはなぜなのか。
家族には恵まれなくとも、人情味のある村人と豊かな自然、そしてゆったりと流れる時間の中で成長する、二度と戻らぬ子ども時代があるからなのではないでしょうか。
さて、明日はこの監督の他の映画を観て見ようかしら。
皆さんも是非機会があればお楽しみください。