3つの「notte stellata」 | 木漏れ日の海

木漏れ日の海

フィギュアスケートの羽生選手を応援しています。
プログラムの感想を中心に語ります。

見逃し配信で「notte stellata 2026」を見た。

 

見逃し配信のおかげで、3日分を一気にみることができる。

 

今回改めて思ったのは、毎年滑る冒頭の「notte stellata」だけど、同じように見えることがないということ。

 

初日は、少しの緊張感とともにあったと思った。

この3月という時期に、この場所で滑るということは、毎年のこととはいえ、簡単なことではないのだと。

 

少しの怖れと丁寧な滑り。

 

「怖れ」や「緊張感」をもっていて、それをストレートにスケートにのせる。

 

「怖れ」や「緊張感」というのは一見ネガティブな言葉に聞こえるけど、それらを手放さずにともにあるということは、とても大切なことだと思う。

 

そして、2日目の「notte stellata」。

 

1日目の緊張を乗り越えて、この場所で滑ることに確信を持つ。

そうすることによって、祈りがストレートにのっていると感じた。

 

この場所でこのプログラムを滑ることの意味、必然性。

このプログラムだからこそ込められるもの。

そういったものが丁寧にスケートにのせられる。

 

そして最終日の「notte stellata」は、惜別。

今年、最後の「notte stellata」。

 

2日間滑ってきた安堵とともに、別れを惜しむ。

それでいて、最後ではない。

また来年帰ってくる。

そんなイメージを受けた。

 

それにしても、羽生君はいつもながら、同じプログラムを滑っても毎回印象が違う。

 

それは、感情や祈り、思いをスケートにのせて表現できるから。

高い技術があって、それに加えて、動きに気持ちをのせられるし、それを見る者に伝えることができる。

 

高い技術をコントロールする理性と、感情を開放して見せることを怖れない勇気。

 

今年も「notte stellata」を見せてくれたことに感謝して。