昨日も日課の5・5キロのウォーキング、ちゃんとやり遂げた。曇天だったが、天気予報では降水確率は0%だった。昨日は早朝から小雨が降り続いていた。止むことはないのかネット検索してみたが、日中はずっと降り続くとのこと。

 さてどんなものかちょっと躊躇したものの、12時、霧雨模様の中、構わずウォーキングに飛び出したが、幸運なことに、歩いている最中に雨が酷くなることはなかった。被っていた帽子だけは湿った。

 家に戻ってちょっとして雨が強くなった。ほんとラッキーだった。

 

 前にも述べたことがあるが、俺のこの約1時間半のウォーキングは思索の時間でもある。国内情勢に国際情勢、身近なことなどいろんなことを考える中で、今日のキーワードは、「大逸れた」だ。

 

 俺はこの形容をよく使う。「大逸れた奴」とか「大逸れた職業」とか「大逸れた人生」とか。

 俺が考える「大逸れた奴」は、長崎県出身の福山雅治、仲里依紗などの芸能人。何でこの二人かというと、俺は長崎県の出身で、2月はバスハイクで長崎ランタンフェスティバルを訪れたが、皇帝パレードにこの二人、皇帝と皇后に扮して出場して大人気だった。もし、この二人が俺の一族だったら、正に、「大逸れた奴」となる。

 

 あとスポーツ選手だったら、侍ジャパンメンバーとか、サッカー日本代表メンバーとか。前者なら、甲子園出場からサクセスストーリーが始まるんだろうし、後者なら、全国高校サッカー選手権からか。

 職業だったら、弁護士が俺が考える「大逸れた職業」だな。医者とか大企業の社長とか政治家は、まず、俺の一族から出る可能性はないというか、そのほとんどが世襲だろうから、「大逸れた職業」にはなり得ない。あと、京大東大を卒業した奴など。

 

 俺自身が「大逸れた奴」とか、俺の子供が「大逸れた奴」なら、それは素晴らしいことであって、何の不平不満も、ムカつくこともないのだろうが、これが兄弟だったらそうはいかない。絶対に祝福する気にはなれない。狭量過ぎると言われればそれまでだが、平凡で何の取り柄もない人間に生まれてきた俺は、何で兄貴か?何で弟が?と疑問と持ち捲りで、この世に絶望することだろう。大谷翔平の兄貴とかダルビッシュの弟なんか、人間出来過ぎている。

 

 ただ、浅田真央浅・舞姉妹はちょっと違うな。フィギュアスケートでは舞ちゃん、妹には逆立ちしても敵わなかったが、現役引退したら、真央ちゃんが引退したら姉の舞ちゃんの天下になったな。何でって、舞ちゃん、容姿抜群で良い女過ぎるから。こういう例は稀有だな。

 

 俺の親父とお袋はもう鬼籍に足を踏み入れてしまったが、一つだけ、ほっとしていることがある。次男の賢二が、「大逸れた奴」にならなくて良かったっていうか、助かったぁ。

 この次男、俺が思うには、「大逸れた奴」になる可能性は十分にあった。東大・京大に合格した奴には必ず、『あいつは子供の頃神童だった』という武勇伝が残っている。

 

 俺ら兄弟が生まれて一時期過ごしたのは、人口8000人の猪町町だ。今は吸収されて佐世保になってしまったが、この町、猪町校区と歌ヶ浦校区に分かれていて、当時は、前者に小学校が一校と中学校が一校。後者に小学校が二校、中学校が一校あった。

 俺ら家族は猪町校区の御堂という部落に住んでいた。この部落という呼称、披差別部落ではなく、単なる地区名だ。

 俺と次男の年の差は二つ、俺が小学校に入学したとき、一クラス30人で二グラス構成。なにしろこの町、人口8000人だから。担任は猿顔の前田。年の頃は40前後。この時代の評価は五段階。俺の通知表には「5」の評価は一つもなくて、麻雀でいう悲しき中にも一面子じゃないが、「4」が、一つか二つで装飾されていた。

 

 俺が小学校三年のとき、次男が入学。担任は俺のときと同じ前田だった。今の小学校はあまりテストがないようだが、あの時代、初中小テストがあった。それも教師がガリ版で刷ったものではなく、業者が搬入したちゃんおした印刷物だった。ただし、中間・期末テストはガリ版だったと思う。