メンバーは俺、宮川さん、古庄さん、廣井さん、名倉、中野真理。それと廣井さんが福岡の九州支社から連れてきた女子二人。これで男女の人数が合う。

 
 ここで宮川さんと古庄さんを簡単に紹介しておく。
 宮川さんのガソリンスポーツターボは昭和61年11月式。俺の、レース用に改造してナンバーを切ったスポーツターボが9月式だ。パジェロが来て嬉しくて堪らなかった当事の俺は、ぶいぶい言わせて街中を走っていたに違いない。宮川さん、その俺のパジェロの赤を見て同じ赤にしたとか言っていたような気がする
   パジェロを買うために、俺はそれまで使っていた準社用車(試乗車を全タイプ用意できない会社は、通勤と営業活動用に新車を買ったセールスマンに三年間、月1万円の車両手当てを支給してくれた。勿論、車両購入は社員価格で低金利だ。でも過ぎる走行で代替えのときは二束三文)を軽自動車にした。ときには、パジェロで動くこともあった。
 その営業用の軽で会社を出たら、何と俺と同じ赤のスポーツターボが走っているではないか。当時、パジェロはまだ世間に認知されておらず、台数は無茶少なかった。幌のスポーツターボとなったら尚更だ。
 俺は何処の人間か、後を付けて家を特定して営業活動に戻った。宮川さんと初めて言葉を交わしたのはいつだったか、正確には覚えていないが、昭和63年に田川で開催された、四駆のタイムトライアル競技、「モータースポーツ・イン・田川」ではなかったか。そのとき宮川さんが俺にカミングアウトしてくれた。
「俺後ろからYMRさんが軽で付いてくるん分かっとったよ」とのこと。俺としては非常にばつが悪い。
  宮川さんのスポーツターボは下関のMBで買ったらしい。
 
 古庄さんはずっとMBファンだった。入社当時の店頭販売三課で同僚だった、俺より2歳上の西村の顧客だった。その西村が俺に言う、「今度俺の客がスポーツターボ買ったんじゃ。四駆のこたぁよう分からんけん面倒見てくれんやろうか。今度紹介するけん」
「ばってようこげん早う車取れましたね?」
「ああ、運が良かったわ。本店に白が1台転がっとった」
「在庫ってことはあのダサいフェンダーミラーのままですか?」
「古庄さん、フェンダーミラー外して空いた穴塞いでウエスタンミラー付けてくれたらええ言うてくれてよ。今月の実績に出来て助かったわ」
  古庄さん、俺が四駆の先輩と言ってもたった二ヶ月なのに、MBの人間だということでよく俺を慕ってくれた。奥さんも紹介してくれて、一緒に焼き鳥屋も行ったし奥さんの実家にもお邪魔したことがある。

 

 待ち合わせの場所はこの前と一緒のパチンコ屋の駐車場。勿論、俺の助手席は名倉。ルートはとにかく10号線を下っていく。豊前市のスーパーでバーベキュー用の食材調達と休憩。

 俺、「缶コーヒーでも飲んで一服しますか」とコカ・コーラの自販機に寄っていく。俺らは何も気にせずジョージアの釦を押したが、廣井さんは、「YMRさんご免。ちょっと俺が飲みたいコーヒーがないわ」と辺りを捜しに行った。

 帰って来た廣井さんの手にはファイヤーコーヒー。

 名倉、「さすがは廣井さんの愛社精神!」と感服していた。

  太平村から山国川に沿って県道16号線を下って、本耶馬渓で国道212号線に合流する。青の洞門を左に見ながら一路、山国川に沿って遡る。途中、飯屋を左に折れて山道に入り、耶馬溪ダムまでショートカットする。

  ナビが無いこの時代、実を言うと、深耶馬渓に出るこのルートに俺は無知だった。宮川さんに連れられてツーリングに行くようになって知った次第だ。

 宮川さんのパジェロは二台目だ。一台目は、発表されたばかりでショートボディーの貨物登録のバンと幌しかなかったときの、昭和57年式メタルトップバンだった。その車で一人であちこち走り回ったのだろう、この辺の道にはやたら詳しかった。

 

 深耶馬渓に至る県道28号線を上がって行って、馬渓観ホテルの看板の手前を、院内に向かって県道27号線の方に左折する。暫く走った後、岩切渓谷の看板から右折して、院内町田所で国道387号線に突き当たる。これを右折して暫く走ると大谷渓谷の看板が視界に表れるという次第だ。大谷渓谷は上流側と下流側の二ヵ所の入口があるが、俺たちは専ら下流側から侵入した。下流から上流に向かって車を走らせた方が、川に水量があって、よりスリルを味わえたから。

 

2021年3月5日・8月14日・2023年2月17日・2024年5月30日修正