先ずは軽く小手調べ。双方とも全員自陣に戻る。持ち点が上がった者としては新原が15000千点、友廣が13000点、俺が14000点だ。俺は自分を鼓舞する。
 ――やっと持ち点も上がった。今からどがんことも出来るぞ。

 この辺で敵も細かい策を打ってくるに違いない。そう判断した俺は自陣のある四列目と五列目の細い路地を6000点の敬三と進み、江口の家の前の垣根に身を隠し、息を殺して敵が来るのを待つ。垣根から顔を覗かせて様子を窺うと、思った通り、友廣と江上の二人がこっちにやってくる。不用心に二人が俺たちが隠れている垣根に近付いた途端、飛び出してタッチ。
「たかぼ、わぁがどん(お前たち)幾らか?」
「19000」
「勝った20000!」
「ちきしょー、負けたか」
「けいぞうやったぞ。おい17000になった」
「おう、おいも9000になった」
 複数人で互いにタッチした場合、合計点の多い方が勝ち、それぞれ3000点づつ上がる。

 俺たちは自陣に戻って今度は浜田と弟のけんじを出陣させた。ふと敵陣に目を遣ると、森田けんじと江上しか見えない。あとの三人が近くに隠れているにしても出て行ってるとしても、まだ持ち点が上がっていない味方のために、ここは総攻撃だ。陣には新原だけが残ることにした。
 西棟と中棟の間の広い路地を全速力で駆け抜ける。やっぱり敵陣には二人しか居ない。俺たちが意気込んで一気に攻め込もうとしていると、自陣から喚声が聞こえてきた。友廣、村上とみお、村上強の三人が新原一人に対して盛んに攻めている。俺たちは焦る。江上と森田けんじが二人一丸となって抵抗してくる。
 俺たち四人のうち、まずけんじが敵陣の一メートル手前からジャンプして江上の頭上の陣を突いた。
「やったぞー」と叫ぶけんじの声に釣られて、陣の左半分を守る森田けんじが振り向いた拍子に浜田が陣を突く。そのすぐ後、けいぞうが江上の股の間から陣を突いた。
 俺も何とか陣を突きたかったが、自陣に攻め込んでいた敵の三人の、どうやら二人が陣を落としたらしく、走ってこちらに向かっていたので、俺は諦めてしぶしぶ自陣に引き返す。

 俺は暫く陣を動かないことにした。随分走り回ったので、ちょっと息切れがしてるし喉も乾いた。俺は家に入って蛇口から直接水道水をがぶ飲みすると、また陣に戻る。
「今度はおいが陣ば守っとくせんわぁがどん(おまえら)行ってよかぞ」
 俺はそう言うと、正木の生垣の外側を囲う木製の垣根の上に登って陣を守る。各自思うままに散っていった。俺は垣根からぶらりと足を垂らして物思いに耽る。

 ――10月31日の船村の秋祭り行ってうべ(むべ)ば腹一杯食うたばってんまた食いとうなったな。やっとあのジジイ(お袋の実家の祖父)がうべ食うても良かって言うたせん力いっぱい食うたつもりばってんまだ食い足らん。下の方んとはだいぶ採ったばってん細かった(小さかった)けんな。杉の木の上の方にゃふっとか(大きい)とのまだがっぽり(たくさん)あったごたる。早よ行かんと鳥に食われるかうんで(熟して)おっちゃける(落ちる)かしてのうなって(無くなって)しまうかもしれん。よし明日は日曜やけんもう一回うべ食いに船村(お袋の実家)行こ。腹いっぱい食うて味ば忘れんごとしとかんばまた来年の10月31日まで食われんけん。決めた、明日船村行ってきゅう(来よう)。序に少し家に持って帰ってきゅう。たかぼもほんなごて(ほんとうに)食いたかって言よったけん。
 などと食い意地を張って他愛もないことに頭を悩ました後、俺は威勢良く垣根から飛び降りて、今度は陣の電信柱の根元に腰を下ろしてまた考え込み始める。
 ――月曜の給食のおかず何やろやろかね。昨日は浅田の野郎おいに細かパンば配りやがって。あの野郎ふざけやがって。そいにしてもいつになったらまたあの袋入りハンバーグの出っとやろか。もうだいぶ経ったぞ。そう言えば今日帰るとき福山と百田がまた何か二人でこそこそ話しよったな。あいどん(あいつら)何かあっとやなかか。ハメた(セックスした)っちゃなかろうね。いつでんいちゃいちゃしやがって。

「やったー、陣突いたぞ」
 その声にはっと我に返って振り返ると、友廣が松永先生の家の垣根の内側から顔を出した。
「YMR、わぁが何ばしょっとか?」
「たかぼ、わぁが汚かやっか」
「何ば言よっとか。ちゃんと見とらんけん悪かとやっか」
 ――しもた!こいでたかぼは23000になってしもた。
 俺は自分の怠慢を後悔したが、時既に遅し。後の祭りだ。たかぼが勇んで陣に戻って行く。そのとき、俺の家の物置小屋の後ろにちらっと人影を認めた。
 ――たかぼ以外やったらおいが勝つやっか。
 俺はさっと陣を飛び出す。気付いた敵は逃げの体制をとったが、朝顔の垣が邪魔して一瞬出送れる。江上だ。俺は難なく彼に追い付いた。
「江上残念やったやっか。幾らか?」
「6000」
「何か、まだいっちょん上がっとらんやっか」

 暫くして浜田が戻ってきた。
「どがんやったや?」
「村上君に捕まってしもうた」
「村上君幾らって言よったや?」
「14000」
「ほんなら今17000か。俺が20000やけんまだ俺が勝つな」
 江上が慌てて陣に戻る。彼を目で追いながら敵陣を見遣ると、散って行った味方の三人が全員姿を見せて攻めている。俺と浜田も加わることにして、駆け出した。
 俺たちは互いに位置を変えたり、距離を詰めたりしながら盛んに攻め立てる。俺たちそれぞれの間隔がちょっと開き過ぎた隙に、陣を守っていた村上とみおが無人の陣目掛けて飛び出した。
 「おー浜田急いで戻れ」の俺の掛け声に反応して、全速力で村上とみおを追い掛ける。その直後、友廣が俺に的を絞って陣を離れて駆け出した。
 俺は素早く体勢を自陣に向けて立て直すや否や、西棟と中棟の間の広い路地を走りだした。友廣は俺を絶好の鴨に見立てたかのように、自慢の足で執拗に追い掛けてくる。自陣では浜田と村上とみおの間で激しい攻防が繰り広げられている。俺も友廣に追い掛けられ、仕方なくそれに加わった。
 両方の陣において、互いに対等の戦力で熾烈な攻防を繰り返したが、結局勝負はつかず、追い返されるか諦めるかして、双方の陣地は平静を取り戻した。

 万取りに熱中すると、夜長の秋でもあり、あっという間に辺りが暗くなってくる。夕日も日の出山に隠れ、山の端だけ真っ赤に焼けたように光る。山際に掛かる雲が焼け爛れた鉄球が楕円形に圧し潰されてぽっかり浮かんでいるように見える。俺は一瞬、UFOが山上に現れたのかと思った。
 みんな口々に、「帰る」と言い残して家路に就く。俺と弟のけんじが戸口から台所に足を踏み入れると、お袋が夕飯作りに精を出していた。今日は俺たちの大好物のオムレツのようだ。ぷーんと美味そうな香りが俺の鼻を突く。
 振り子式の柱時計に目を遣ると、ちょうど6時を指していた。今日は土曜日だから巨人の星があっている筈だと、俺たちは靴を脱ぐや否や、急いでテレビのスイッチを入れる。今、主題歌のイントロが始まったばかりだ。

♪思い込んだら試練の道を♪行くが、男のド根性♪真っ赤に燃える王者の印♪巨人の星を掴むまで♪血の汗流せ♪涙を拭くな♪行け行け飛雄馬♪どんと、ゆけ♪

 俺たちがまだ巨人の星を見ている間に台所からお袋が夕食を運びだす。
「ほらどかんね。ちゃんと自分の場所に座らんば」
 食卓の四隅は俺、弟のけんじ、親父、お袋の四人できちんと座る場所が決められていた。その為、三男てつみが物心つくようになると、自分の場所を頑強に主張し始めたが、その度に親父が宥めていた。
「てつは『余り』やけん仕方なか。ほら俺の横に座れ」
 オムレツが五個並ぶと、早速俺とけんじの目が血走る。
「こいがおいんとぞ(これが俺のものぞ)」
「兄ちゃんこすか(汚い)やっか」
「わぁがはそいで(それで)良かやっか」
 この頃、国民総生産が(GNP)が当時の西ドイツを抜き第2位とはなったが、大多数の国民はまだ貧しかった。食い意地が張ってないと食い損ねる。今のように、腹が減ったからとおいそれと食い物を調達できる時代ではなかった。

 お袋のはオムレツではない。成人してやっと本物のオムレツがどういうものか知った。お袋の言うオムレツはジャガイモ、ひき肉などを炒めた具を薄焼き卵で包んだ半円形の卵料理だ。
 俺はお袋の言うオムレツを食う場合、薄焼き卵は後生大事にとっておいて、まず中の具だけ胃袋に入れてしまう。具が無くなると鍋から中身を補充して貰う。二・三度繰り返して、腹もそろそろ満腹に近付いてきたタイミングで、最後の楽しみとして薄焼き卵を味わう。

 夜8時になったら今日の子供向け番組は終了だ。
「けんじ、糸取り(綾取り)すっか?」
「よかばい(いいよ)」
 俺は机の上方にある棚から箱を下ろし、毛糸を取り出して50センチほどに切ると、端を結んで両手の指で操る。けんじも俺に応じて両手の指で上手く俺の手から取り外す。失敗すると、その回数を覚えておいて腕を競う。俺たちは30分ほど糸取りに興じたあと、石炭風呂に入った。だいたい夜9時過ぎには二人共、去年親父が我が家に購入した二段ベットに入り込んで就寝する。

 

 2019年8月14日・2024年3月24日修正