今、成澤の通夜を終えて鳥巣から帰ってきた。小倉を出たのは朝の9時だ。昨日は15時に鳥巣に着いて、18時からの通夜を勤め上げ、夜中11時過ぎに帰ってきた。小倉―鳥巣間二往復、さすがに飯塚経由の一般道は使う気になれなかった。高速料金片道1950円、合計7800円、障害者割引半額で3900円の散財だ。だが、掛け替えのない親友の葬儀、ケチる訳にはいかない。

 

 豊田から成澤の訃報を貰ったのは二日前の日曜日、恒例の家族での温泉行きの帰途だった。俺は絶句したが、直ぐに気持ちを切り替える。

 ――成澤は2月に昏睡状態に陥ったときにゃぁもう魂はあの世に舞い上がっとったんや。今更驚くことでもあるまいよ。

 成澤の嫁からラインが入り、豊田とともに、葬儀のときの友人代表の弔辞と通夜の受付も頼まれたが、俺は二つ返事でOKする。

 夜、豊田に電話した。

「ラインで受付してくれって頼まれたけん、3時には着くごと行くわ」

「うちにもラインきたわ。弔辞と受付してくれんねって。明日はずっと実家に居るけん」

 豊田は今実家で寝起きして、一人残されたお袋さんの面倒を見ている。考えてみると奴の家に行くのは何年振りだろうか。息子が生まれて一・二年は人恋しくて結構うろちょろしていた。あれは23年前の正月か。猪町の実家から小倉に帰るときは、高速代節約のために一般道の川久保線を利用して鳥巣まで出て、そこから高速に乗っていた。豊田の実家は川久保線の沿線で、何を思ったか、親友やけん嫌な顔なんかされんやろう、寧ろ喜ばれるに違いないと勝手に想定して、正月の家族団欒の酒席に上がり込んだ。家族水入らずの席だから、弟とその嫁も顔を見せていた。このとき、豊田自身の嫁の姿はなかったが、確かもう結婚していたと思う。

 

 豊田の家への入り口を間違ってしまった。二十数年ぶりだからご愛敬だ。左手に住宅街が広がる。豊田の家のある住宅街の進入路の対面に集荷施設の広い駐車場がある。まずそこに入って煙草を一服。ここからは九千部山がよく見渡せる。いい天気だ。暫し感慨に耽る。

 ――ここでいろいろあったよな――

 あれは俺が障害者用のAT免許をとったとき、おれはマニュアル車が運転出来なかった。奴の車はマニュアルのトヨタ・カリーナのツインキャブ。エンジン掛けきるかって鎌をかけられて乗せられて、結局被らせてしまって笑われた。豊田に入れ込んでいた有馬に利用されて足に使われたときも、奴にプレゼントを渡しに行ったあの女をここで待った。苦い思い出や。

 

 車庫には古いホンダ・ザッツが停まっていた。住宅街の通路をゆっくりバックで下がってザッツの前に着けると豊田が車から下りてきた。

「どこ停めたらええんか?」

「もうちょっと下がって畑に入ってええぞ」

 俺は車を降りて、「ほんと久しぶりや。二十数年ぶりや」

「そげんなるかいの?

「あぁ、先ずはお袋さんに挨拶と仏壇に手ぇ合わさせて貰うわ」

 家は結構手を入れているみたいだったが、俺の記憶を超えるほどは変わってはいない。懐かしいのは懐かしい。高校時代・浪人時代、昼間のみならず、夜中にも結構忍んでやって来ていた。豊田に案内されて家に中に入る。ん?俺の記憶違いか?玄関は車庫側ではなく、道路側からではなかったか?

 新築したのは今から45・6年前、奴が中学生のときだ。500万で建てたと言っていた。当時は畑に向かって直角に屋根付き車庫があって、亡くなった親父さん、ブルーバードに乗っていた。そのとき、奴が言ったことを覚えている。

「車庫がもうちょっと大きかったらスカイラインが買えたんよね」

 親父さんはそのあと、トヨタのクレスタに乗り換えたんじゃなかったか。豊田自身は俺の覚えている限り、中古のトヨタカリーナSR、日産初代パルサー。その後の三台、ランサーターボA175、ギャランE33型VR-4、ギャランE52型GLは俺が中古で売った。

 

 お袋さん、高齢にも関わらず受け答えはしっかりしている。羨ましい。俺のお袋もパーキンソン病にさえならなかったらこうだったかもしれないのに。

 居間のテーブルの前に腰を下ろしていたお袋さん、懐かしそうに、「誰かと思ったらまぁお懐かしい」

「お久しぶりです。二十数年ぶりですか。正月にお邪魔して以来ですから」

 俺はそのまま座敷に歩を進め、豊田の親父さんの仏壇に手を合わせる。

 

「おっとしもうた。今日は俺とお前と成澤の想い出の写真ば引き延ばして持って来たんじゃ」と、車から取ってきた。

「これ持っとるか?」

「おう、持っとるぜ」

「ばって成澤は分からんな。もしかしたらこの写真、成澤の嫁、見たことないかもしれんぞ。棺と一緒に火葬にして貰うんじゃ」

 縁側からひょこひょこと白内障で目が白濁したダックスフントの老犬が出て来た。

「あれっ、このワンちゃんもう二十年以上なります?」

 俺が最後にこの家に来たときにも居たような気がしたから。

 お袋さん、「そうはならんよ。15年以上は生きとるけど」

 お袋さんが気を利かせて扇風機を回す。エアコンはちゃんと設置されてある。ふと使っているのかどうか気になる。

 

 豊田がコーラを外の自販機から買って来てくれて、お袋さんがロールケーキを三切出してくれたが、体重調整中の俺は申し訳ないが食えない。豊田が一切れ食った。

 俺が豊田と話し込む間、お袋さ、キッチンのテーブルに大人しく座っている。

 豊田に、「お袋さん外には出たりはしよるんか?」

「ああ、家の周りばちょろちょろはな」

「それ以外は?」

「買い物は俺が連れて行く。ボケてはねぇがもう危ない」

 俺は豊田の家庭のことは一切聞かない。別に必要はない。嫁とは結婚式以来会ったことはないし、娘も見たことない。ただ、危険な臭いは感じる。実家で寝泊まりを続けるというのは、少なくとも、俺には許されないことだから。

 

「ちょっと煙草喫ってくるわ」

「すまん。喫煙は外やもんでよ」

 梅雨の中休み、外は無茶暑い。畑の縁のブロックに腰掛けて、俺が13歳から23三歳までの10年を過ごした鳥巣の大気の中に煙を吐き出す。俺を追うように豊田も出て来て煙草に火を点ける。

 確か9年前、思いがけずの同窓会を年末、豊田が設定してくれたとき、奴は一日5本しか喫ってないと言っていた。

「お前ぇ、一日5本やなかったんか?」

「ん~にゃ(違う)、10本は喫っとるわ」

「そいがええって。今更煙草止めたところで寿命なんて延びん。1本喫っても10本喫っても変わらんって」

 

 畑に隣接する狭い通路に一台の車が路駐した。

 豊田が、「弟が来たわ」

「俺がここに停めとるけんやねぇんか?」

「いやいいんよ。いつも実家に来るときはあそこに停めとるんやけん」

 弟が畑を乗り越えてこちらに向かってくる。俺は豊田の手前、「おう久しぶり」とわざとらしく声を掛けた。弟も通り一遍の挨拶はしてくれたが、心が全く籠ってないのは分かる。勿論、会うのは23年ぶりだ。俺の糞次男と同じ匂いがする。いけすかない。

「もう期末テスト終わったんか?」と豊田が簡単な兄弟の会話を交わす。

「弟とは結構会話あるんやな?」

「いや表面上だけよ。一応兄弟やけんよ。深い話なんてせん」

「まぁ男兄弟ってそんなもんやろ。そいでも縁切っちまった俺よりましや」

 豊田の弟について聞くことは何もない。一切の交流を絶った次男のことが脳裏を過って胸糞悪い。豊田の弟は俺の次男と鳥巣高校で同窓だ。次男は長崎大学の教育学部に進学して、長崎県教職を取って、今は小学校の校長をしている。対して、豊田の弟は佐賀大学の教育学部に進んで、佐賀県教職を取って、中学校の校長をしているようだ。

 

 簡単に豊田自身の経歴を説明しておく。奴が俺の書き物に登場するのは、「二十歳の紀子」と「浪人日記」。親父さんは自衛隊員で目達原基地に勤務していた。出身は熊本だ。今年亡くなった。

 俺は中学二年のときに猪町から鳥巣に転校してきて五組になり、三年のときは二組で、そこで豊田と同級になった。高校は鳥巣高校一年と三年のとき同級だった。大学受験は全滅で、浪人するかどうか悩んだが、九州産業大学の二次募集に出願して入学した。俺は宅浪を選択。

 新卒での就職は地場の旅行会社。一応引き抜かれた形でクレーン会社に転職して、その後結婚した。そこから二社転職したが、疎遠になって、今の会社の詳しいことは聞いたことがない。今日ちょっと話したところによれば、数年前、会社の景気がいいときはボーナスが100万超えたとのこと。羨ましい。

 

 2020年5月10日・2024年1月19日修正