今日も家族三人早起きして一階に下りる。嫁と息子は、例によって、裏の駐車場に入り込んで状況確認。彦根地方、爽やかに晴渡っている。暑くなりそうだ。でも、鬱陶しい梅雨は直ぐそこまで迫っているんだろう。

 朝食は昨日と同じ6時15分くらいだろうと踏んだのが甘かった。そろそろかと食堂に入ったら既に二人の客の姿がある。しまった、やられた!

 バイキングの種類としては昨日より今日の方が俺向きだ。つい、昨日より多めにプレートに盛ってしまった。昼飯は勿論食うつもりはないが、食べ切ってしまったら、果たして体重はどうなる?

 

 朝飯を6時半には終えた俺らは一旦部屋に戻って時間を調整する。観光地の開くのは9時だろうから。

 県道518号線を護国神社の方から外堀を渡って内堀に達する。右に曲がって直ぐに駐車場があったが、まだ閉門中だった。暫く停車したままで待とうと思ったが、この道は結構交通量が多い。迷惑行為だ。視界の先に駐車場の看板、この先行き止まりの案内もある。

「先の駐車場に入ろうや。その方が車が来んで待ち安いやろうや」

 駐車場は玄宮園の手前の駐車場、舗装はされていない。未舗装の駐車場は靴に泥が付いてマットが汚れるので嫌なのだが、さっきの駐車場も未舗装だった。今日は天気が良いので埃が舞いそうだ。

 

 日が当たって車内の温度が上がらないように奥の大木の木陰に停める。駐車場を出ると左手のお堀が屋形舟の乗り場になっていた所要時間は45分で1300円、琵琶湖の水を引き込んではいるが、この内堀、水質が悪く臭ってきそうな気がする。浄化して、せめて大濠公園くらいには持っていかないと、真夏など臭くて屋形船気分など吹っ飛んでしまうのではないか。

「おっ鳥が居る。白鳥やないか」

 俺ら家族、白鳥をまざまざと見たことがない。暫し足を止めて、スマホで数枚写真を撮って、汚い濠で優雅に泳ぐ白鳥に目の保養をさせて貰う。ここの白鳥、飛び立ち防止のために風切り羽を切ってある。ほかの白鳥を含めて年に一・二回、風切り羽を切っているそうだが、生えてくると羽ばたけるようになるという。

 

 黒門橋で濠は堰によって区切られる。ザーザーと濠の水が勢い良く流れ落ちている。橋を渡り切った右手に入場料徴収の事務所、今掃除中ですので暫しお待ち下さいの案内文。戻ってきたおばはんに身障者手帳を提示したら、丸岡城では半額だったのに、家族全員無料とのこと。これは儲けた。俺は二種四級なので自分の分だけ無料、嫁は一種二級なので自分の分と付き添い一人が無料になる。

 彦根城の形式は連郭式平山城だ。2005年8月に行った浅井長政の居城、小谷城は完全な山城で歩いて登るには辛過ぎた。ちゃんと頂上付近まで車道が伸びていたのでありがたく使わせて貰った。

 平山城とは平地にある小高い丘に築かれた城だが、本丸までの黒門山道、結構歩かさせる。例によって嫁、ぶつぶつ文句言いながら上がって来る。井戸曲輪跡の脇を通って天守前広場に出る。

 令和元年5月7日(火)から9月20日(金)までの期間、国宝彦根城天守、附櫓及び多聞櫓の天守二層目の漆喰壁と多聞櫓南面、玄関全面の漆喰壁の剥落に伴う保存修理工事を行っておりますとのこと。天守の窓から覗くと、瓦に傷がつかないように本当に丁寧に足場が組まれている。文化財保護の繊細さを見た気がする。

 

 本丸前売店は開店の準備をしていた。ご存知とは思うが、井伊家と言えば赤備え、レプリカの甲冑が一領、何か思惑があるような置き方をされている。また平日でもあり、観光客は数えるほどだ。俺らは一休みした後、天守に上がる。

 国宝現存天守・彦根城、内部には案内板も説明板も刀剣も甲冑類も調度品も、はっきり言って何も置いてない。観光客は四百年前の日本を肌で感じながら上がって、天守最上階からの景色を堪能して、下りるだけだ。

 確かに現存天守は貴重だが、鉄筋コンクリートの復元天守もそれなりに趣はある。何より史料が豊富で勉強になり、結構長く城内に滞在できるから。

 

 天守から下りて広場の売店の前のベンチに座って休憩、時刻はまだ10時前、この辺りからどんどん団体の観光客が上がって来だした。彼らは天守に上がるまえに、引っ切りなしに井伊の赤備えの甲冑を真ん中に記念写真を撮っている。写真屋、大忙しだ。

 左隣のベンチに座っている観光客の話が聞こえる。一枚、千数百円とのこと。ぼろ儲けだ。

 息子が、「俺、じっとしとくんが苦手なんよね」と文句を言い出す。

 嫁が、「いつまでこうしとくん?」

「お前、ひこにゃん知っとうか?」と俺。

「彦根城に来てひこにゃん知らん人、居らんよ」

「そのひこにゃん、10時半にここに来るぞ。さっきの管理事務所に書いてあったけんな」

「ひこにゃんに会えるんやったら喜んで待っとくよ」と期待に顔を綻ばす嫁。

 対して息子は、「何、まだ30分以上あるやん」と不満たらたら。

 

 ひこにゃんの登場を、10時過ぎ辺りから、お姉さんが宣伝して回ると、結構な観光客が集まりだす。出てくるのは本丸前売店横の納屋からだった。ゆっくり、恥ずかしそうに登場する。このひこにゃん、熊本県のくまもんみたいな動作じゃなくて、極めて動きもスローモーで小さい。愛嬌はあるが、くまもんみたいに愛想は良くない。

 観光客、一様にかわいいを連発する。登場時間は30分、その間、色んなポーズをとったり、ときに首に下げた鈴を鳴らしたりして観光客の歓心を得る。大の大人も童心に帰ってひこにゃんに心酔する。勿論、嫁も。ただの着ぐるみの筈なのに、成り切っているゆるキャラに、中に入っている人間のことは完璧に頭から飛んでしまっている。凄いことだ。

 

 帰りは太鼓門櫓から天秤櫓を潜り、落とし橋を渡って、表門橋から518号線に出た。

「安土城行くん?」と嫁。

「あそこ登るん無茶キツいんよね。もう帰るか」と俺。

「なら、信長の館に行ってみようよ。あそこやったら登らんでいいよ」

 信長の館には、1992年に開催されたスペイン・セビリア万博へ出展された原寸大の安土城天主(五・六階)が展示されている。内部には当時信長が狩野永徳を中心に描かせた「金碧障壁画」、金箔10万枚を使用した外壁、金の鯱をのせた大屋根など絢燗豪華な安土城が復元されている。行ったのは2010年に近江八幡市に合併される数年前だ。

 確か、ぶらっと京都に来た序に安土まで足を延ばし、信長の館の駐車場で漠然とそろそろ帰るかと思い立ち、距離は550キロもあるのに、さも、近場に遊びに来て帰るような感覚で帰途に就いたのを覚えている。この頃はデリカに乗っていたので、これくらいの距離、何でもなかった。

 

 行き掛け、途中のローソンに車を停めて嫁と息子だけ昼食、俺は勿論食わない、眺めるだけ。信長の館に向かっている途中、安土山の傍を通ったような気がするが。

 安土町の街中を抜けて長閑な田園地帯を過ぎて到着したのがいいが、「もしかして今日休み!」と嫁。

「何じゃ、来た意味ねぇやん。仕方ねぇ、安土城跡行ってみるか」

 十数年ぶりにきた安土城跡、だいぶ様相が変わっていた。駐車場、広くなったのか?でも未舗装だ。車が汚れる。

 新しい施設、城ナビ館なる物ができていた。トイレに行ったあと、ふと入ってみたら受付にオヤジがいて、金を取られそうだったので即行で外に出た。

 平日というのに結構車が入ってくる。俺は案内板の前に佇んで、暫し山上の安土城が聳えていたと思しき辺りに視線を遣る。といってもほとんど見えないが、当時、木々は全て伐採されていた筈だ。小谷山然り。

 時代の流れで仕方がないか。入山が有料になっていた。2006年からというので、俺ら家族はそれ以前にやってきたのだろう。金額は大人7百円。

 俺ら家族はここに続けて二回来た。一回目は盆休みだった。今は17時で入れないようになっているが、当時は、発掘調査によって大手道が再現されたばかりのただの城跡のある山だったから、時間は関係なかった。夏とは雖も、夕方遅くやってきたらさすがに日が暮れだして登るのを断念せざるをえなかった。そのリベンジも兼ねて年末年始休に再びやってきた。冷え込む中、根性で登ったら、天主跡には雪が積もっていた。石組み階段の一段一段の段差がかなり大きく、相当体力を使った。登り切ったときにはへとへとに疲れていた。俺がこのとき既にクラッチ杖を使っていたかどうかは覚えてない。

 

 安土山の管理は摠見寺が行っている。摠見寺は織田信長によって安土城内に創建された本格的な寺院だ。元々は天主と城下町を結ぶ途中にあり、安土城を訪れる人々が摠見寺の境内を通って織田信長へ参上した記録が残されている。本能寺の変の後、安土城炎上では類焼をまぬがれたものの、江戸時代末期の火事で焼失。その後は、大手道脇の伝徳川家康邸跡に寺院を移して現在に至っている。

 摠見寺の料金所が大手道のど真ん中にでんと構える。座っていたのはおばはんだ。

「ここ障害者手帳利くん?」

 おばはん冷徹に一言、「利きません」

「分かった」

 嫁に、「登る価値もねぇわ。帰ろうや」

 ここで言わせて欲しい。摠見寺は何か勘違いしているのでないか。別に俺はここに映画やコンサートを見に来た訳ではない。それに、一度登ったことがあるので、義足で登るのがどんなに辛くて困難か経験している。上肢障害なら文句も言えないが、無理してでも登りたいという下肢障害者が居るなら料金に配慮があって然るべきだと思う。こういう風に考えるのは俺の障害者としての甘えだろうか。

 

 嫁と二人、「何か馬鹿にされとんな。こげなところ二度と来んぜ。クソが!」と吐き捨ててしまう。

 ムカついてさっさと車に戻った嫁と息子を尻目に、俺は大きな岩に腰を下ろして観光客の動向を一服しながら観察してみた。七百円も払ってあんなキツい思いまでして登る者がどれだけいるのか見てみたかった。

 料金所から見上げるとその石段のデカさに二の足を踏む。案の定、やってきた年配の夫婦二組は料金所から引き返してきた。

 ――見てみぃや。京都の名刹じゃあるまいし、ただの石垣遺跡に誰が七百円も払って上るかい!

 

 安土を出てそのまま帰途に就いた。高速には竜王インターから乗った。渋滞もなくスムーズに進む。俺は後部座席で惰眠を貪る。嫁の希望で西宮名塩で休憩。

「父ちゃん、どっかで交代してや」

「分かった。一応広島まで行けや。そこから交代して一般道に下りるわ」

 高坂PAで運転を後退して本郷インターチェンジで一般道に出た。広島市内、慣れていない道を走るときは車線の選択に要領を得ない。高速を下りてからずっと俺の前を走っていた山口ナンバーの中型トラック、さすがに走り慣れている。本当にスムーズに流れていた。

 山口県に入って、セブンイレブンに停まった。ファミマを捜していたのだが、どんなに走ってもセブンイレブンしかなく、我慢できずに入った。ここでは、俺はレタス巻きをチョイスして体重を抑える。

 

 ナビの最初の到着予想時間より一時間ほど早く帰り着くことができたが、午前様だ。今日、息子は採用が決まってから初めての事務手続きのための会社訪問だ。時間は10時、心して行かせねば。

 

 快晴!↓

 

 ホテル朝食↓

 

 彦根城内堀の白鳥のつがい↓

 

 黒門橋事務所↓

 

 彦根城本丸売店↓

 

 彦根城とひこにゃん↓

 

 ひこにゃん登場↓

 

 安土城跡大手道ど真ん中の摠見寺料金所↓