※記事は私の独り善がりの見解であり、フィクションです。登場する個人・団体名はすべて架空のものです。どうぞご了承下さい。

 

 俺は今、糞会社と裁判で係争中だ。受けた恨みは必ず晴らさねばならない。内容証明、労働局の斡旋と段階を踏んできたが、丸っきり無駄ではなかったようだ。やっぱり馬鹿は救いようがない。内容証明にも申し立て書にも、ちゃんと障害者雇用促進法第36条違反と書いてやったのに、弁護士名が連名で書いてなかったものだから俺をナメくさったのか、どうも、障害者雇用促進法も眼を通してないばかりか、弁護士にも相談してないようだ。
 その証拠に斡旋で、配置転換を要望されたこと、空きがないと断ったことをあっさり認めやがった。別に書面もなく録音もされてないのだから、会社が口裏を合わせてあくまでも認めなかったら、俺は証明のしようがなく非常に不利だったものを。正に馬鹿としか言いようがない。8月の初めに代理人弁護士を通して提訴した。

 無職になって10ヶ月、今月の26日で退職届けを出して丸1年。何とか職無しの生活に慣れて来た今日この頃だ。辞めて初っぱなの勝負、約1年掛かったが、障害年金に俺は勝利し、15日、過去5年分、数百万が振り込まれた。九大出の福銀出身の社労士の助力がなかったら勝てなかった勝負だ。これで5年間、嫁の障害年金と合わせて毎年175万を確保した。65歳からは厚生老齢年金を加えて年間270万(ここ勘違い。63歳からは障害者特例が効いて、65歳になったものとして、老齢厚生年金と老齢基礎年金が出る)ある。月22万の収入だ。息子から年間60万取り上げれば、年間330万、何とか家族三人生きていけるだろう。
 何とか糞会社を屈服させて今の貯蓄に賠償金を加えてやる。例え裁判に勝訴したとしても、何万何十万だったら企業は負けても痛くも痒くもない。そんな法律なんか絵に書いた餅だ。満額認められてこそ悪徳企業は戦慄する。

 もう8月も下旬、今年は宿を取って遠出することはなかった。
 ――ふと、確か千灯籠は23・24日だったよな。
 最後に行ったのは高校生のときだったような気がする。江迎の街を彷徨い、いつか復讐したろうと恨みを募らせていた江頭に会ったような気がする。そのときは思いだけで何もできなかったが。
 あれから45年、一度は訪れてみたいと思っていたのに叶えず仕舞いだった。親父とお袋もちゃんと生きていて実家もあったというのに。仕事があったら致し方ない。だが、今は毎日が日曜日、行けないことはない。これくらいの贅沢くらい許されるだろう。それにまだ実家がちゃんと存在しているか確かめる必要もある。ついでに親父とお袋の墓参りも。宿は去年の11月に泊まったホテルAZに予約した。ここからだったら江迎まで歩いて行ける。

 小倉を朝9時に出た。勿論高速は使わない。時間はたっぷりあるのにどうして無駄な金を遣う必要がある。いつもの如く飯塚経由で鳥巣に入る。「みのや」も「とんかつきむら」も鳥巣-筑紫野道路沿いだから、基山の手前からこの道路に入りたかったのだが、またもや国道3号線に誤進入してしまった。
 11時頃鳥巣に着いてローソンで一服しながら、「みのや」か「とんかつきむら」か迷ったが、昨日も俺だけうどん食ったし、嫁の判断で「とんかつきむら」にした。俺は安いロースとんかつランチを選択したのに、嫁の野郎、わが家の財政事情などお構いなく、ヒレ定食にしやがった。ほんと、能天気な奴だ(この頃はまだ俺の家計簿はつけていない)。

 猪町までのルートは34号線、35号線、204号線をのんびり辿ることにした。今までは高速を鳥巣で下りたあとは佐賀・小城・多久・伊万里・松浦ルートばかりだった。高が鄙びた田舎のこと、渋滞に捕まることなどないだろう。沿線の街の様子や景色を愛でながら走るとするか。
 途中ファミマを見つけて一服、どこかのクソが駐車枠を外して店の出入口の前に停めてやがった。回り込んで道路に出れたので事なきを得たが、出れなかったらまた喧嘩に発展しただろう。殴られようが刺されようが、今の俺は怒りを押さえられない。いつか殺されそうだ。
 つい先日もいつもの如く、鳩の餌やりに早朝、門司港レトロの関門汽船前のロータリーに赴いたおり、体格のがっしりした作業員と喧嘩になって向かっていった俺は、想定通り押し飛ばされ、尻餅をついて右肘を擦り剥いた。
 
 ロータリー入口の大型車停車場所にバスが入ってくる。ロータリーを回ってターンするには俺の車が邪魔になることはちゃんと承知している。ちょうど盆の書き入れ時前で、広場には作業車が1台入っていた。出入口は大型車停車場所の1ヶ所だけだ。車止めの鉄製ポールの出し入れを担っているらしい作業員がその作業車の横に付いていた。出入口に止まったバスが邪魔になった作業員は一旦、回ってくれるように頼んでいたが、俺に向かっては、「おう、除けれや」と命令口調だ。いつもの如く俺はカチンとくる。
 俺は信条通り、相手に殴らせようと言葉で煽って胸を押し付ける。想定通り、俺は若い力に押されてアスファルトに尻餅を突いて右肘を擦りむいて血が滲む。
「おう傷害じゃ。警察呼ぶわ。待っとれや」
「おう呼べや」
 俺は車からスマホを持ち出す。強気の相手ではあったが、何となく現場を離れようとする。
「待てや」とあくまでも決着をつけようと追い縋る俺に、いつも口だけは達者な嫁がビビりだす。
「もう止めてや」
「こんなことばっかりやって。もう帰る」
「うっせー!怪我させられて見逃すかちゃ」
 俺は110番しようとしたが、嫁はあくまでも俺に抗う。相手はどんどん歩を進めて改装中の海峡ドラマシップの方に離れていく。離合できないバスのために車を移動させたついでに歩き去る相手に追い付く。このままでは終わらせられない。
 車を降りて、「おら待てやこの野郎!」
「嫁がしゃーしーけ、今日はもう帰るわ」
 わざとらしく擦過傷を負った肘を相手の目に晒しながら、「ああ痛ぇわ」
 初めは強気の相手ではあったが、やっぱり申し訳なさそうに傷に視点をおいて、「すまんやったです」
 俺はにやっと笑って、「俺はこれや」と義足を晒して、「俺は弱いよ。ばってナメられたら向かっていくでよ」
「俺も弱いくせに向かっていきます」と答える相手。いつの間にか丁寧語に変わっている。奴は車に戻る俺に付いて来て、助手席の嫁に、「申し訳なかったです」と謝った。
 俺としては喧嘩が計算通り進んだのだから、嫁のヒステリーさえなかったら、警察呼んで、傷害で告訴して、治療費と慰謝料を請求したかったところだが、弱者ビジネスで糞会社を提訴していることもあり、不利になるような材料が知られたら面倒だ。この辺で矛を収める方が得策だろう。
 
 二週間経って何とか長距離運転に耐えれれるようになったが、まだ喧嘩のとき尻餅突いた尾てい骨が痛む。寝る前の習慣・腹筋は何とか二勤一休を守ったが、痛みのため変な脂汗が混じる始末、辛かった。
 車は武雄に入った。武雄温泉駅前後数キロに渡って電化されているのに、今だに恥ずかしい単線の佐世保線は高架にはなっていたが、乗客は大して居そうもない。なのに、ここまで駅舎に金掛ける必要などあるのか。佐世保線の中では佐世保に次いで立派だが、この温泉、大分に比べたらそう繁盛しているようには見えない。
 
 久しぶりに佐世保の街中を抜けた。親父が亡くなったのが2011年だから8年ぶりか。俺にとっては本当にムカつく街だ。クソ弟二人が住んでいる。204号線沿いの市役所も目障りだ。佐々では次男が借家にしていた佐々川沿いの家も目に入ってしまった。気分は最悪だ。でも、俺はこのルートをとってしまった。何度も言う。俺は人口50万以下の街には住みたくない。小さな街は一人ちょっとした有名人が出ると街を挙げて祝福しやがる。わざとらしい。
 吉井町に入ると立て看板が目に入る。
 ――千灯籠には松浦鉄道でお越し下さい。無料駐車場あります――
『ほう!ド田舎にしてはデカいお祭りなんやな。千灯籠は』
 
 いつものルートを外れてスーパーまつばやの先の江迎川に面した交差点を右折して昼間の街中を流して観察してみる。沿道沿いは提灯が吊るされ捲っている。ちゃんとやっている千灯籠感。江迎には平戸に向かって三本の道がある。露店が所狭しと軒を連ね一番人出があって賑わうのは道幅が狭い山手の道だ。他の二本は昼間なら車で入れるが、山手の道は露店が出ているので観察走行は無理だろう。
 
 猪町町を貫くたった一本の県道沿い、右手にあるホテルAZを通り過ぎる。チェックインを16時にしていたが、まだ15時過ぎ、コーヒータイムと一服しに実家に繋がる町道入口のファミマに車を入れ込んだ。
「ねぇ、実家に行ってみようよ」と嫁。
「何しにや?どうせ明日墓参り行く途中に見えろうもん」と気乗りがしない俺。
「まだあるか確かめるんよ。お母さんが亡くなったら取り壊すっていってたやろ」
「家があろうとなかろうとどうしようとあいつらの勝手や」
 俺が弟二人にムカつくのは長男の俺に何の相談も無く仕切ってしまうことと、親父が死んだ途端、家探しして通帳を自分の手元に置いたことだ。変な使いかたはしないとは思っているが、その探す姿が醜かった。
 労金の7百万は三等分して俺に振り込んできたが、親和銀行の数百万は分からない。固定資産税とか実家の入用に遣っているとは思うが。お袋の通帳には4百万入っていたが、数年連絡を取ってないのでこれもどうしてるか分からない。
 
 親父には申し訳ないが、俺はこんなド田舎で暮らす気は毛頭ない。SNG大学は出たものの、糞会社にしか就職できなかった俺の老後の収入は3百万未満だ。公務員の弟二人の老後の収入との差は歴然だ。惨めなことこの上ない。ただ、糞弟二人が頼むから親父が大事にしていた家を守ってくれと俺に頭を下げて、両親の預金丸ごとと、今までの収支報告書を渡してくれれば話は別だが。俺にはお頭は悪くとも息子がいる。弟二人は娘だ。必然、実家は消滅するしかない運命だ。
 嫁の希望を叶えて、実家への道を上がってやった、「良かった。家ちゃんとあるよ」
「良かったな」
 カギの置き場は知っているから、数年前だったら一応駐車場まで下りて家の中に入ってみただろうが、それはしたくない。嫁もこの点は俺と同感だ。実家を見下ろす町道から写真を一枚だけ撮った。
 
 16時前にホテルに入った。部屋は去年と同じ二階だ。一旦寝転んで、「6時になったら出るぞ」
 ホテル前から江迎猪町駅に至る脇道が伸びている。深江のこの道沿いには、直ぐ転校していったが、俺の小学校時代、お茶屋を営む同級生太田の家、小学校三年生のスケッチ大会で馬郡と共に優秀賞を取ったとき題材にした鉄工所、小遣いを得るために一升ビンの空き瓶や拾った銅線を売った廃品屋があった。
 歩く俺ら夫婦の後ろから若い奴らの話し声が聞こえる。話題は千灯籠だ。歩を止めて先に行かせる。数人の内一人は田舎ヤンキーの格好だ。猪町在住時代の川添を彷彿させる。俺が鳥巣に引っ越した後、奴は浅田たちを率いてこんな風に意気揚々と千灯籠に乗り込んだんだろうよ。この糞田舎にはこれくらいしか楽しみはなかっただろうから。

 江迎猪町駅のホームには一両編成の松浦鉄道の車両が停車していた。千灯籠というのにそう大して乗客は降りてこない。こんなもんかとちょっと拍子抜け。
 まずはこの寂れた街を徘徊だ。江迎川を渡って平戸に向かう交通規制の敷かれた一本目の道、国道204号線を横断して、歩行者天国になった二本目の道に入って右折、規制の始まる地点を左折して山手の一本目の狭い通りに入る。この細道が千灯籠で最も賑わう。道の左手に露天がずらっと軒を連ねる。さすがに人が多い。女性と子供が思い思いの浴衣に身を包んでいる。お祭りムードが盛り上がる。

 千灯籠は昨日と今日の二日間だ。今日、9時5分から30分までの千発の花火でフィナーレだ。あと二時間ちょっと潰さねばならない。なにかイベントはやってないものだろうか?
 寺へと続く階段があって、行き交う人が多い。何かイベントをやっているのかと上がってみると階段の下り口にアイスクリーム屋が。北松アイスだ。ラッキー!
 このアイス、里帰りしないとお目にかかれない俺ら家族にとっては貴重なアイスだ。早速、頂く。黄みを帯びたちょっと粗めのこのアイス、一口頬張ると脳裏に亡くなった親父とお袋との思い出が甦る。平戸、佐世保、西海橋、沿道にこのアイス屋を見つけると必ず車を止めて買い求めたものだ。
 
 階段を上りきった先の広場では仮設ステージが設けられてイベントが開催されていた。近隣の小学校中学校、といっても江迎町も猪町町と一緒で市町村合併で佐世保市に飲み込まれてしまった過疎の町だ。小中学校も淘汰されてるだろうから、江迎小学校中学校の生徒に違いない。
 出し物は大人数でのダンス、客席は長方形の箱を並べただけの簡素な設営、席は埋まっている。俺たちは立ち見。前の列では保護者だろう、スマホでのビデオ撮影に余念がない。まぁ所詮ド田舎のこと、とても洗練されているとは言えない。同じレベルでもこれが福岡や小倉だったら受ける印象も変わってくるだろうに。田舎は何をやっても物寂しい。
 ダンスが終わると席が空いた。嫁にビールとツマミを買いに行かせて、飲みながら寛ぐ。出し物はこれもまたド田舎のドへたおっさんバンド。司会者のバンドの紹介では昨日好評だったとのことだが、声を張り上げているだけでとても聴くに耐えない。飲み終わって、早々に会場を後にする。
 
 陽も完全に落ちて、階段を下ると凄い人混み、立錐の余地もないほどだ。ほとんど楽しみの無いド田舎の年に一度のお祭り、この時間、一仕事終えて家族・友人・恋人と取り急ぎ駆け付けて来たのだろう。押し合いへし合い、坂を上りきって何とか千灯籠の下に辿り着いた。
 親父が亡くなる前年の2010年8月23日の昼間、千灯籠祭りの準備が成された街中を懐かしく散策したことがある。昼間ではあったが、はっきり灯籠タワーを視界に捉えることができた。
 タワーの辺りにも人が密集している。タワーの中に入ってみる。
「何やこら!」
 興醒めだ。タワーは鉄筋製で木材で組まれたものではなかった。確か昔は鉄筋ではなかったと記憶している。
 
 ここにも広場があって大勢の見物客が取り巻いている。地元有志による集団舞踊だ。だが、所詮田舎の独りよがり的ダンス、留まって見る価値はない。元来た坂道を下って、江迎の二本目の通るに出る。ここでは老若男女混成による集団舞踊だ。
 もうそろそろだろうと、俺はスマホで時間を確かめる。花火の打ち上げは9時6分から30分までだ。打ちあげ数は二日間でたったの2千発、13日に困難を押して出掛けて行った関門花火大会は打ち上げ数が1万5千発、人出は千灯籠4万5千人に大して105万人だ。比べること自体かわいそうだ。
 
 千灯籠の花火は江迎川の駅が側の岸から打ち上げられる、もう日本から消失してしまいそうな寂れ過ぎた、人心も暗く沈み込む街の上空に展開する年に一度の大輪の花だ。
 ガキの頃は街側の岸に場所取りして花火を観賞した。もうあの頃から45年の月日が経って俺は老境に達した立派な大人だ。何処で見ても俺の勝手だろうと橋の上に陣取ることにしたが、今は安全対策が至上命令なのだろう。規制線が駅のすぐ前まで張られて抗う訳にもいかず、嫁は、「こんな花火見る価値ないよ」と気分を害していたが、打ち上がりだすと、多くの見物客に混ざって大人しく観賞する。
 今日に限っては松浦鉄道も臨時列車を運行するようだ。感情の行き違いがあった俺は嫁と別ルートでホテルに戻る。徒歩で帰る途中、同じく帰途につく子供を伴った欧米人の家族を眼にした。こんな日本地図上の見捨てられたような土地にも外人が居るんだと驚愕した。
 
 結構汗をかいた。身体中べとべとだ。嫁の野郎、こんな狭いユニットバスに無理やり二人で入ろうとする。嫁としては今までもずっと二人で入っていたので当然のことなんだろう。ただ、トイレットペーパーは外させる。そうしないと、ズブ濡れになってしまって使えないから。
 二段ベッドの二人部屋だが、やっぱり嫁は下段の俺のベッドに潜り込んでくる。去年の宿泊のときもそうだった。仕方ない。非日常の旅先なのだから多目に見るか。 
 より正確に挿してくれるであろう、新しくかったばかりの体重計を持参した。家で初めて使った折、数値が明らかにおかしく、タニタに電話した。原因は廊下の凹凸だった。部屋の床はカーペットだったのでちゃんと計れるか心配だったが、取り越し苦労だった。


 ホテルを出る前に計った体重は67キロを超えていた。晩飯抜きを決断する。晩飯は露店で好きなものを買って食えと言っていたが、自分で食うものなのにあれやこれや迷う嫁を見て、食えない俺はイライラしてムカつく。
 晩飯を抜いておけば朝飯は食えるだろうと計算していた。折角料金に含まれる朝飯を食わないのは勿体ない。特にホテルの朝飯は種類は少なくても好きなものを選べるバイキング方式だから。

 いつもの通り、宿泊したときの俺たち夫婦の朝は早い。6時には部屋を出て一階に下りる。俺は去年と同じく、ガキの頃、鮒を掬っていた溝沿いの柵に凭れて一服。
 ビジネスホテルの客は仕事に絡めての宿泊だから朝が早い。朝食は混むこともなく美味しく頂いた。いつもは食わない朝飯を食ったことにより、昼飯を食うか食わないか悩ましいところだ。朝飯食って満足したところで部屋に戻って時間を調整。忘れ物の無いことを確認してホテルを出る。

 親父とお袋の墓に手向ける花は江迎のマツバヤで買うつもりだ。その前にファミマで朝の一服。地の共同墓地に眠る両親の墓に行くには、高いブロック塀はあるが、町道に面する親父の本家の側面をぐるっと回る。ただ猪町小学校のプールに面した玄関部分は車の入口があって居間が覗けるが、人影はなかった。まぁ居てもお袋の葬儀に参列しなかった俺に会わせる顔は無いが。
 
 見知った顔がないか、用心深く墓に近づく。道路に軽自動車が一台停まっていて、先客が居たが、顔は知らない。用意した花を生けようとしたが、花立の水が腐臭を放っている。確か水道があった筈だと探したら、蛇口のハンドルは取り外し式だった。先客のおばさんが快く貸してくれた。夫婦二人で手を合わせる。
『親父お袋、一年に一回しか来れんですまん。親父は血が繋がった兄弟なんやから仲良くしろと言うかもしれんばって、俺にはあの弟二人とは死んでも無理や。兄弟三人誰かが犠牲になって片輪にならないかんやっとしたら貧乏くじ引いたんが俺や。そいに兄弟三人の内、足で悩み過ぎて俺だけ禿げたしよ。あいつら普通の人生送れてさも当然のような顔しとる。障害者雇用促進法にある合理的配慮の提供の義務は兄弟間にもあると思うぜ。そいにムカつくんや。親父は俺ば片輪にした西肥と裁判して負けたばってん、俺も正に今34年間勤めた糞会社ばその合理的配慮の否定は差別っていうことで訴えとるんや。負ける筈ないと思うんやけどな。俺もあと十数年くらいでそっちに行く思うけど、そんとき話聞かせてやるわ。あっと、そいから親父の大事にしとった家は面倒見てやれんわ。あの二人が生きとる限りはよう』
 
 高速を使わず、一般道で今日中に小倉まで帰るなら、昼過ぎには猪町を後にしなければならないが、まだ十分時間はある。なら定番は長串山から口の里ドライブだ。
 長串山には熊本ナンバーの車が一台居ただけで、土曜日だというのに絶景の観光地としてはお寒い限りだ。長串山が賑わうのは所詮ツツジ祭りの時期だけか。まぁ沖縄でもない限り、こんな糞田舎にわざわざ観光で来る奴などいないか。
 
 本ヶ浦から大屋の方に左折して口の里に抜ける。長串山に向かうときもそうだったが、何かが道路をちょろちょろ横切る。カニだ。ここ口の里では一匹や二匹ではなく、次から次へと現れる。なぜか道路の真ん中にいて、車が近づくとあわてて動き出すので、踏まないように走るのが結構大変だった。結局数十匹の蟹をよける蟹よけゲーム状態。
 車を停めてどんな奴か確かめる。序にスマホに写真も撮った。よく見ると道路にへばりついた無数の乾燥したカニの死骸が。猪町のド田舎の連中には当たり前過ぎて、生き物に対するリスペクトなんか希薄なんだろう。だから普通に走って速度を緩めず平気で轢き殺す。
 
 帰りのルートはいつも通りの裏道を選択する。江迎小学校から山越で松浦に抜け、伊万里、多久、小城、佐賀、鳥巣に至る。松浦に西九州道が整備されつつあるので一般道が混まずに助かる。
 1年ぶりに通ったら、何と武雄と多久の市境にある女山峠にトンネルが開通していた。工事をやっているのは去年通りがてら見ていたが、そうか開通したのか、これは良い。時間が掛かっていた峠をあっと言う間に抜けた。14時頃には鳥巣に着いた。
 昼飯は抜くつもりだったが、やっぱり、「みのやのうどん」が食いたくなる。嫁は、「みのやのうどん」が一番美味いと言って憚らない。初中来れるもんじゃない。食べ放題のセルフサービス品、絶品の高菜の油炒めと昆布の佃煮も味わいたい。
 習慣として店に入ったら、まずおでんコーナーの横に置いてある漬物の鉢へ。うっと俺は眼を疑う。すり鉢に入れてある昆布が終了している。高菜のどんぶりも終了間際状態だ。
 嫁が、「こんな時間に来てもある訳ないやん。昆布美味しいんやから」
 ――他人事のように言いやがってムカつくぜ。
 
 鳥巣からは飯塚経由だ。毎日が日曜日の俺に急ぐという感覚はなくなってしまった。俺にとっての高速道路の存在価値は一般道路が空くというありがたみだけだ。
 ホテルAZに決めるまでに検索した宿で、猪町の長串にある民宿「海の幸」が妙に気になる。宿泊者のコメントも好意的なものばかりで、宿泊料金も一人7千円と非常にリーズナブルだ。特に夕暮れの宿から見る北九十九島の景色が良い。今度、ただ泊まりにだけ行ってみようと、ふと思った。
 
 2018年8月24日作成
 2019年6月12日・2022年11月14日修正