今年は結婚して以来、例年と違う年末年始休を過ごすことになった。これを書いているのは2012年12月31日、就寝中豪く寒いなぁとは思っていたが、トイレに入って外を見たら日豊線の土手が白くなって雪が降っている。高松にいる息子に電話して天候を訊いたら晴れているとのこと、400キロも離れていればさもありなん。

 それにしてもうちの猫どもは騒がしい。とくに二匹のチビが。昨晩は布団の上を全速力で駆け回られて頭に来た俺は平手打ちかましてやった。

 

 いつもは襖を締め切って二階で寝るのだが、俺一人、家族に憚ることも無い。パソコン・石油ストーブのある四畳半の間に二階から布団を下ろして寝た。

 冬だからさすがにムカデは出ないだろう。邪魔なのが我が家の五匹の猫軍団だけだ。それにしてもいつ戻ってきたのか、ウッシの野郎は重い。掛け布団に乗られたら俺の足は動かせない。

 

 嫁に息子と二人、新幹線で高松の実家に行くのを納得させるのには苦労した。前日まで俺の心変わりを期待して、「ねぇほんとに行かんの?」と鎌を掛けてくる。

 俺が頑強に抵抗した効果で、この時点ではほとんど諦め気分だったからこのくらいの穏やかな聞き方だったが、1ヶ月前は凄かった。嫁の俺が高松に行かないことへの報復はこれだ。
 「なら、私も猪町へは絶対行かん。あんたの親の葬式にも行かん。あんた一人で行き。あんたの親やけん私には関係なかけんな」

 腹を立てた俺と激しい口喧嘩になる。でも、2年前親父が死に、お袋も施設に入って実家が無人となった今、俺の対応は変わった。
「よかよか行かんで。俺もあげな腐った町に帰るつもりはねぇけ。どうしても帰らないかんときは俺一人でさっと行って来るけ」

 この言葉通り、俺は今年1月の親父の一周忌に日帰りで息子と二人帰ったきり1年、あの腐った町、猪町には戻らなかったが、パーキンソン病で喋れないお袋でもさすがに気になり出した。それに無人の実家、縁が薄い弟二人が佐世保に居るとはいえ、家がちゃんと保持されているかも気になる。嫁も俺のお袋が気になってしょうがないようだ。

 

 年末年始休の初日の29日、俺ら家族はお袋の見舞いに久しぶりに猪町に帰郷することにした。嫁と息子は30日に新幹線で嫁の実家・高松に行く。

 通常だったら高速を鳥巣で下りて、そこから川久保線を走り佐賀大和に出て、小城・多久・伊万里・松浦と一般道路を抜けて情緒を楽しみながら猪町に至るのだが、今日は時間が惜しい。そう楽しい帰郷ではないからさっさと帰って来たい。腐った町は早めにサヨナラするに限る。

 鳥巣からも続けて高速を走った。途中でド眠気に襲われた俺は運転を嫁にとって代わられた。武雄南インターからの西九州自動車道、よくここまでチョコマカと料金所が設置されている。さすが田舎の有料だ。その上、エスケープゾーンもない片側一車線、運転する嫁が腹を立てる。
「こんな道路高速道路でも何でもないよね。田舎の人はよくこんなにノロノロ走って我慢出来るよね」

 

 佐々インターを下りて直進し山間の道を走ったら江迎に出る。一年ぶりというのに懐かしさもクソもない。実家はまだあった。将来に渡って誰も住む者が居ないのなら早くこの世から消してしまったほうが良いのではないか。その方が後腐れがなくて良い。

 

 親戚・縁の薄い弟二人には何も連絡せず、忍びでの帰郷だった。家の周囲をぐるりと歩いてみる。雑草がちゃんと刈られている。家の中に入る。寝室のテレビと客間のテレビが入れ替わっている。テレビを持って帰ろうとする俺への当て付けか。これじゃ小倉から持ってきた電源の入らないテレビと入れ替えたら一目瞭然だ。

「やっぱり持って帰るの止めようよ」と嫁。
「そうやな、わざわざこげな遠くから持って帰らないかんほどは俺ら生活に不自由してねぇわ。クソが」

 洋間に入ったら縁の薄い弟が持って帰ったと思っていたXPのパソコンが返されていた。
 「何考えとるんか?」

 猪町に着いたのは2時前だったが、先にお袋に会いに行けば良かった。一番会いたくない奴の顔を見る羽目になってしまった。次男だ。

 

「何な来とったんな」
「あぁ休みになったけ久しぶりに来てみたわ」
「お袋元気にしとるか?」
「もう歳やけんな。食べたもん吐かすったい。そのたびに俺が拭いてやらんといかん」
 …こいつ、一応はお袋の世話しよるんか…

 奴は、「今日は正月の準備ばしに来た」としめ飾りと鏡餅を持参していた。手ぶらできた俺は何とも格好がつかない。誰も居らんのに飾りも何も意味が無いような気もするが。こいつ正月、お袋を施設から日帰りで連れて帰って来るつもりやな。

 

 甲斐甲斐しく30分ほど動いたあと、「なら俺は忙しかけん帰るばい。こいからお袋に会うんやろ?」
「あぁそのために来たんや」

 縁の薄い次男の乗って来た車は日産の新車・ティアラだった。ということは対馬の小学校から戻って来たのか。俺は別に訊きはしない。その代わり、こちらの情報も伝えやしない。息子が就職したことも。

 新車は縁の薄い三男の知り合いの日産のセールス野郎から買ったんだろうが、一昔前の俺ならこう吐き捨てただろう。
「クソが!兄貴が三菱なんに何で何の関係もねぇ奴から買うて儲けさせる必要があるんか」と。

 でも、俺もあと6年で業界ともサヨナラ。それに申し訳ないが、お袋が亡くなったらこの腐った町とも親戚とも縁を切りたい。俺に新車購入の声が掛からなかったのは好都合だ。ただ一つ後悔するのはこいつの娘に保険を入れてしまったことだ。一年に一回更新の連絡をせねばならない。

 

 次男が勝手口から出て行ってやっと心が穏やかなになったと思った途端、見送りに出ていた息子が、 「とうちゃんは?」と戻って来た。

 何事かと居間の縁側に出たら、帰ったと思った次男の姿。
「今度うちのやつが結婚するったい。内輪だけでやろうと思うとるけん親戚には言うとらん。哲(三男)だけ呼んだけん」
「あぁ別に構わんわ」とは答えたものの、キツいトゲが喉に突き刺さった。

 

 …内輪でやるなら哲も呼ぶ必要なかろもん。同じ佐世保に住む公務員同士っちゅう訳かい。確かに喜んで出たいイベントではないが、こうあからさまに除け者にされるとシコリが残る。兄弟は他人の始まりとは誰が言った言葉か。まさに的を得ている。俺に言わせれば、なまじ血が繋がっている分、他人より始末が悪い。縁を切ろうにもお袋が生きている限り仮面付き合いを続けざるを得ない。俺の同級生には男三人兄弟とか居ないから、ある程度仲良くやっているようには見える。産めや増やせやの富国強兵の時代じゃあるまいし、何で男ばかり三人も作る必要があったのかと死んだ親父と病気で喋れないお袋に問いたい。本家は長男に妹三人、お袋の本家は女ばかりの四人姉妹だ。男三人兄弟ほど始末に負えないものはない。そう言えば、お袋が哲を生んだ理由を小学生の俺に喋っていた。女の子が欲しくて生んだが、男でガッカリしたと。だったら、養女でも貰えば良かったんや。そしたらこげな兄弟の断絶なんてなかった。俺は兄弟に頼らねばならないような余生は死んでも送りたくない。

 

 2019年4月17日・2024年も1月20日

修正