歩道には鹿煎餅売りのおばさんが一定間隔で居座っている。出店の軒先に今や骨董品と化した『写るんです』が淋しくぶら下がっている。
「ありゃ、まだ写るんですっち売りよるんかいな」
 携帯のカメラの画素が100万を超えるまでは相当お世話になった『写るんです』、家族3人で出かける度にお世話になった。もう観光地で『写るんです』で撮影している人は見ないし、持ってたら恥ずかしい。今ならせめてデジカメだろう。一世を風靡した『写るんです』だが、富士フィルムもいつまで生産を続けることができるだろうか。

 的屋には書き入れ時のG・W。露店が歩道上にところ狭しと軒を並べる。たこ焼き・いか焼き・お好み焼き(広島風)・焼き鳥・牛串・甘栗ETC。
 杖を突けば、休み休みでも結構歩ける。歩けば病気の治療にもなるが、今の時候は汗を掻かず、体重が減らないのが玉に傷だ。奈良公園は俺にとっては二回目だ。本当は三回目になるはずだった。高校の修学旅行は奈良も巡る予定だったが、台風で日程が変更になり関西は京都周遊だけで終わってしまった。

 東大寺に向かって国道369号線の右側の歩道を歩く。県庁東の交差点の手前から地下道に入る。この地下道の右手には平城京遷都1300年の大きな壁画が飾ってあり、前回来たときに心を奪われ、これが契機で俺の観光は京都から奈良にシフトされた。
 大仏前の信号を渡れば東大寺への参道だ。広島風お好み焼きの露店も朝の支度に大童のようで、お姉さんが椅子に座って大量のキャベツを機械でカットしている。ほんとにこれだけの材料が捌けるだけのお客さんが来るの?との疑問も湧く。
 東大寺の門前町と連休の露店の組み合わせ。これだけの店が潤うとはさすが東大寺の大仏様だと感嘆する。南大門に向かって人懐っこい鹿を愛でながら大勢の観光客の波に紛れて歩く。

 南大門に足を踏み入れた俺を左右から迎えてくれるのは二体の運慶・快慶作、金剛力士像だ。この身長8メートルの巨体、とても木彫りとは思えない圧倒的迫力、そして存在感だ。まさに命が宿っている。このまま台座を蹴って動き出しそうだ。こんな造形、世界中探しても有る訳ない。  
 足が竦んだが如くじっと見上げて、俺は日本人だと改めて誇りに思う。この金剛力士像の存在を知ったのは中学の歴史の教科書だった。作者の運慶・快慶の名前は生涯忘れることはなかった。この像の前に初めて立ったのはほんの数年前のこと。俺には大仏様よりインパクトがあった。

 南大門を越えると中門だ。中門の正面は柵がしてあって左に迂回して回廊から金堂に抜けるようになっている。参拝料はこの入り口で払い、トイレは左端だ。唯一の喫煙所はトイレの前。
「私トイレに行ってくるよ」と嫁。
「なら俺も一服するか」
 奈良の不満は喫煙場所だ。京都はあらゆる観光地に数ヶ所の喫煙場所が設置してあるが、奈良は非常に少ない。
 子供が泣き喚いていた。父親が懸命に抗う子供の手を乱暴に引っ張ってトイレに連れて行こうとしている。嫁が、何か言いたそうにその光景を眺めているおばさんに、「小さな子は大変ですよね」

 拝観料は障害者割引が効いた。ラッキーだ。回廊を中門正面まで歩いて、いよいよ金堂に足を踏み入れる。人垣をかき分けながら正面の賽銭箱に小銭を投げ入れ、霊験新たかな大仏様を厳かに仰ぎ見て手を合わせる。
 ――あと6年半仕事を全う出来て心安らかにこの会社を去れますように。その後の残り少ない人生、何とか食べて行けますように。クソクリ(嫁)が俺より長生きしますように。

 大仏様を左回りに歩くと、大仏様の後ろ左手に人の心の奥底まで見透かす鋭い眼光の広目天が控える。俺はこの天の、鰓が張った顔立ちが好きだ。似た顔を持った人がこの現代たくさん居るような気がする。親しみ易い天だ。中門の出口に続く回廊にある土産物売り場に広目天のクリアファイルがあったので買った。
 東大寺を後にした俺らは再び大仏前交差点に出る。この人出、感心する。信号が変わる度に波のように観光客が押し寄せる。さすが奈良・東大寺。例え江戸時代の再建とはいえ、京都とは歴史の重みが違うようだ。

 まだお昼前、「ねぇ今からどこ行くん?」
「そやな…春日大社にでも行ってみるか」
 藤原氏の氏神を祀る春日大社と東方の春日山原生林は世界遺産に登録されている。大仏前交差点から春日大社に向かって森の中を斜めに参道が伸びる。結構人の行き交いもある。
 道すがら、古代からの神聖な森に神の使いの数匹の鹿、鹿は森に居てこそ絵になる。ここの鹿は気骨があるのか、俺達は人間には媚びないぞとばかりそっけない態度だ。
 参道の別れ道の辻に鹿煎餅売りのおばさん。全く買う人が居ない。この辺りには鹿も少ないし、子供もほとんど居ない。条件が悪過ぎる。場所取り合戦に負けたのか?

 嫁、この頃また体重を気に掛け出して、ウォーキングを再開した。そうして貰わないと、揃えたウェア、シューズが勿体ない。
「お前ぐらいの体型になったらウォーキングじゃ全く効果ねぇっちゃ。走らな」と俺が揶揄すると、「私は健康のためやけええと。おかあさんのように歩けんようになったら困るけんね」
 今度の旅行でも、「去年の夏は文句言ったけど今回はいくらでも歩くよ」と鼻息も荒い。

 杖を突けば歩けると言ってもきついものはきつい。春日大社境内に入ってからも、社殿までは距離があった。南門から入った俺らは、幣殿にお参りする前に、見事な紫色の花を咲かせる左手の藤棚に引き寄せられる。通常・砂ずりの藤だ。大勢の参拝客がここで足を止めて藤の花に見惚れ、写真を撮っていた。俺は、西回廊の朱塗りの建物の中の腰掛けで一休みして、人間ウォッチング。
 さぁ動こうかと立ち上がって目線を社殿の上まで上げたら、視界に飛び込んできたのは雷に打たれた奇妙な跡が残る杉の古木、大杉だった。あれは目立つ。

 帰り道を変える。森から道路に出て歩き出したら小雨が落ち出した。嫁はちゃっかり傘を差す。
「こんくらいの雨に傘はいらめぇ」
「お昼はどうするん?」
「あぁ、その辺の店で食うか」とは言ったもののいっぱいだ。
「確か広島お好み焼きの屋台があったな」
「うん。お好み焼きでいいよ」と嫁。
「ちゃん(息子)もええか」
 おっと…朝キャベツを大量にカットしていた屋台に行列だ。鉄板の上にも10個以上の焼き終わったお好み焼きが並んで面白いように捌けて行く。
 俺は屋台の後方の公園で食うつもりだったが、「こんな所で食べないよ。車に戻って食べるよ」
「なんちや、駐車場までは相当歩かないかんぞ」
 俺はぶつぶつ言いながらも歩き出す。

 車に乗り込んで、まずは一服と窓を開けて煙草を喫っていたら、管理人のオヤジがこちらに向かって両手でバツを作る。
「何しよんかあのジジイ!」
「ここは煙草喫うちゃぁダメやぁ」
 俺は慌てて消さずにゆっくり消したが、「車ん中で喫いよって注意されたん初めてじゃ」
 今、記事を書きながら無性に腹が立ってきた。確かに駐車場には停めていたが、車は俺の所有物だ。何で暴れなかった?
 くそっ!いつもの俺じゃない。喫ってはならない理由は火事か?副流煙?問い詰めるべきだった。
 ――くそっ胸糞悪ぃぜ。

 徐にエンジンキーを捻った俺は、カンカンカンと何かに当たっているような排気音に、車を降りて下を覗く。社外マフラーと繋がれた部分の純正マフラーが錆びて亀裂が入っている。接触して当たっている箇所は分からなかったが、マフラーの振れが激しいような気もする。今更どうしょうもない。ただこのGW、持ってくれることを願うだけだ。破れてしまったら、その音は激しく、観光地回りなど出来やしない。
「父ちゃん大丈夫なん?」と康太。
「あぁ、何とかもってくれるんを願うだけじゃ」

 とにかく、携帯で検索した朱雀門の大雑把な住所をナビに入れて、この腐れ駐車場を出た。目指す平城京跡は向こうに見える高架の先辺りらしい。俺は周囲に目を配りながらデリカを走らせた。
 おっと朱雀門だ。右手にあった。警備員が立っている。通り過ぎた俺はナビを見ながら右折地点を確かめる。交差点に立て看板があって、本日は招待者しか駐車できません。一般車はご遠慮下さいとある。
 嫁が、「せっかく来たのに残念やね」
「冗談やねぇで」
 俺は敷地に沿って右回りに走る。大極殿が塀の上に見えた。
「くそっ!意地でも見てぇ」
 入り口があった。俺は路肩に車を停めてちゃんに聞きに行かせた。

 
 東大寺参道の鹿↓
 
 南大門↓
 

 中門↓

 

 春日大社の藤棚↓

 

 大極殿↓

 

 せんと君↓

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 2024年4月6日修正