鳥巣高校の体育館はテニス部と陸上部が使う小さめの第二グランドに沿って建ち、その向かって右横に並んで格技室があって柔道部が使っている。辺りに民家は無く虐めには絶好の場所だ。三棟ある校舎からは離れていて、完全な死角になっているから悲鳴も怒声も聞こえない。柵側に康太と美代子、半円形で関谷グループ十数人が取り囲む。

 関谷が口火を切る。
「お前ら本当に目障りなんじゃ。真知子先輩の弟っちゅうことで見て見ぬ振りしてやったんを良いことに調子に乗りやがってよう」
 恵美が続く。
「三浦、一年坊のくせしてあたいらシカトしやがって。その茶髪とミニスカ気に障ってしょうがないんだよ。焼入れてやんなきゃ気が収まんないんだ」
 次に翔太が、康太が一番毛嫌いする生臭い顔を近づけて、「東京に居る湯村先輩にゃ申し訳ねぇが痛め付けさせてもらうわ。なぁに1週間も学校休めば顔は元通りになるさ。次からは学校じゃ俺らにちゃんと敬意払って隅っこば縮こまって歩けや。まぁ1年我慢すれば俺ら卒業するけんそいまでの辛抱や」と、さも愉快そうにけらけら笑う。
 康太は、「仕方ないな」と一言。三浦に向かって顎を杓る。
 何や?と怪訝な顔で康太を眺める関谷グループ、『まさか刃物っちゅう訳はないよな。ここは学校や。警察沙汰になるごたる物はいくらなんでも持ってこんやろ』
 美代子はにこにこ笑って、「はい康ちゃん」と手提げから鎖で繋いだ二本の棒を康太に渡す。
 関谷が、「ヌ、ヌンチャク?」と認知した瞬間、目にも留まらぬ早業でヒュンと音がしたかと思ったら、グループの中心で一歩前に出ていた関谷の顔面から血飛沫が上がった。

 咄嗟のことで関谷は周囲の目から鼻を隠す動作が遅れた。グループの連中は、今にも千切れ落ちようとぶらぶら揺れる関谷の鼻を目の当りにして、背筋を凍らす。鼻は鼻骨の付け根に皮一枚で辛うじて繋がっている状態だ。顔面の痺れたような痛みに自分の鼻に手をやった関谷は状況を把握した。
「う…うわぁ!」
「鼻が…俺の鼻が…」
「鼻がぁ…」
 地面に膝をついて狼狽する。凄惨な状態に堪らず関谷に近寄ろうとする仲間に、「お前ら動くなよぉ」と美代子が一喝する。連中はその場で固まる。
「動く奴は容赦なく康ちゃんのヌンチャクで鼻削いじゃうぞぉ。康ちゃんのヌンチャクは久留米誠心会の若頭、権藤おじさんのお墨付きなんやから。今すぐ組の用心棒になれるってね。やから鼻くらいで済んだらかわいいものなんやぁ」
「久留米誠心会若頭!」
 連中は顔を見合わせてガクガク震え出す。
 ――怖いお兄さんどころじゃないよぉ。人一人消すくらい何とも思わない連中だよぉ。下手したら俺ら殺されるよぉ。家族もタダじゃ済まないよぉ。

 泣く子も黙る久留米誠心会。隣町鳥巣市では、老若男女その名前を聞いただけで震え上がる。命知らずの集団、その危険性では広域暴力団川口組も凌ぐと日本中に認知された組織、久留米警察署長銃撃爆破事件は当時暴力団排斥運動をしていた鳥巣市民を恐怖のどん底に陥れた。市長も鳥巣警察署長も一時雲隠れしたと真しやかに噂が流れた。スケバングループの一人が堪らず泣き出す。
 美代子はにこっと笑って、「別にあたいは先輩を取って食べる訳やないけん泣かなくてもいいよ」
「三浦さんご免なさい。本当にご免なさい」
 その子はひたすら謝りながら地面にうつ伏す。
 鼻を押さえて蹲る関谷の前に屈み込んだ美代子が、「お前グループのリーダーなんやからもうちょっと我慢できるやろ。病院にはちゃんと行かせてやるけん」
 美代子はぎろっと翔太を睨め付ける。翔太は恐怖で後ずさる。
「康ちゃんはお前に一番ムカついたみたい」と軽く言う。
「康ちゃんはヌンチャクだけやないとこ、見せてあげるよ」
 美代子は、「先輩名前何て言うん?」と今度はかわいく微笑み掛ける。
「しょ…翔太です」
 美代子は、「じゃぁ翔太先輩こっち来てぇ」と優しく手招き。二の足を踏む翔太に、「早く来るんだよ」と今度は恫喝した。
 恐る恐る間近までやって来た翔太に、「私と康ちゃんに校門の前で言ったこともう一回言ってみてぇ」
「も、もしかしてお二人の背後には怖い後ろ盾がついてらっしゃるのでしょうか?」と蚊の鳴くような声。
 美代子はパチパチと手を叩いて、「不良でもさすが鳥巣高生。私と康ちゃんを怒らせない様にちゃんと丁寧語に置き換えてるよぉ」
「次は?」と美代子。
「東京に居られる湯村先輩には申し訳ありませんが痛め付けさせて貰います。1週間も学校を休んで頂ければ顔は元通りになりますから。今度からは学校にいらっしゃるときは先輩である僕らにちょっと敬意を払って頂いて少し隅に寄って歩かれて下さい。1年も我慢して頂ければ僕らは卒業しますのでそれまで辛抱して頂ければ幸いです」
 美代子は再びパチパチ手を叩きながら、「上手いよ翔太先輩!」
「先輩成績そう悪くないやろ?」
「前の言い方やったら凄く腹が立ったけどこの言い方やったらちょっと怒りが収まったかな」
「ねぇ康ちゃん…」と美代子はヌンチャクを首に垂らし、腕を組んで艶に柵に凭れる康太を窺う。
「もう下っていいよ翔太先輩」
 翔太はほっと胸を撫で下ろす。

「じゃぁ今度は…」と美代子は右手を顎に舌舐めずりするように見回して、無邪気な声で、「私が憎くて堪らないと仰るそこのお姉さま!」
 指を差された恵美はぎくっと一歩退く。美代子からつかつかと寄って行ってちょこんと頭を下げる。
「私生意気でした。ご免なさい」
 想定外の美代子の行動に面食らった恵美だが、例えそれが美代子の策略だったとしても、2つも下のかわいい下級生に頭を下げられて悪い気はしない。恵美は150センチの美代子より10センチ以上背が高いから見下ろすような格好になる。
 美代子は屈託なく真っ直ぐ恵美を捉えると、「私お姉さんの気持ち分かります。高校に入学したばかりのお尻の青い小娘が朝っぱらから康ちゃんといちゃいちゃして、おまけにお姉さま方に対抗するようにスカート、ミニにしちゃってるから気に触って当然です」
「でも分かって下さい。私絶対康ちゃんと離れたくなかったん。鳥巣高行きたくて行きたくて堪らんかったんやけど、普通科はおろか家政科も絶対無理だって担任の先生に言われちゃって。それが受かっちゃったもんだから嬉しくて嬉しくて浮かれちゃって。どうぞ暫く大目に見て下さい。お願い聞いてくれたら私きっとお姉さま方の良い妹的存在になります」
 ――かわいい!
 同じ女子でありながら虜になりそうなくらいかわいい。こんな妹が本当に自分にも居たらなとつい魅せられてしまう。グループの他の女子も同様だ。ぶりっ子してても不良としての度胸は満点、男子も軽く手玉に取る。飴と鞭を使い分けてリーダーにはもってこいのキャラだ。

「私まだお姉さまのお名前聞いてなかったよぉ」と、美代子がかわいく口を尖らせる。
「え、恵美だよ」
「恵美先輩、もし私を受け入れてくださるなら美代子と呼び捨てにして下さい」と、にこっと微笑む。
 美代子の機嫌が良くなったのを見計らって大輔が前に進み出る。 
「あのぅ三浦さん…」
「何ですかぁ先輩?」
「二人は工業の坪口君商業の大塚君を仕切ってるって聞いたんですが本当ですか?」
 翔太がどきっとして大輔に目配せする。
 ――馬鹿が!今さら噂の真相なんか聞いてどうすんじゃ。二人の気分害するだけやろうが。
 意に反して美代子は笑顔を見せて、「うんそうだよ」と軽く肯定する。
 連中はやっぱりかと顔を見合せる。
 ――良かったぁ。あの二人が鳥巣高に乗り込んで来る前に分かって…どうせ関谷じゃ役不足やったんや。
 連中は踞って唸る関谷に冷たい視線を送る。
 ――もうこいつは用無しやな。

 

 2019年3月12日・2020年3月19日・2021年11月22日・2022年9月16日・2024年7月4日修正