遠山の金さんこと遠山金四郎は、原姓は藤原、幼名は通
之進、長じて金四郎、諱(いみな)を景元といった。
之進、長じて金四郎、諱(いみな)を景元といった。
幕府では初めに大隅守、その後に左衛門尉となったので
幕府の中では「遠山左衛門尉」と称された旗本である。
遠山金四郎は天保11年(1840)から14年までを
勘定奉行からの横滑りで北町奉行を務め、次に大目付に
なり、弘化2年(1845)から嘉永5年(1852)
南町奉行として務める。
南町奉行を病気で辞職した後は隠居、安政2年(185
5)に61歳で亡くなってしまうのだが、江戸町奉行2
30年の歴史の中で南町、北町の奉行を務めたのは極め
て異例、金四郎ただ一人なのだ。
時代劇のドラマの中では「北町奉行遠山左衛門尉様、ご
出座」と呼ばれているので、遠山の金さんの物語は天保
11年からの3年間のことだとわかる。
「この桜吹雪を見忘れたか」で有名な彫り物だが、これ
は「入れ墨」ではない。
江戸時代、入れ墨とは罪人の腕に黒く線を入れたもので
前科の数を表した。
よって町奉行が前科者であるわけがなく、もし胸や背中
に彫られていても、それは自分が望んだ「彫り物」なの
だ。
金四郎が彫り物をしていたという証拠は現在どこにもな
い。
しかし金四郎は青年期に家を飛び出して無頼の徒と交わ
ったという過去があるようで、肩や二の腕に彫り物をし
ていたという説もある。
肩には「髪を乱した女の生首」が彫られていたともいわ
れる。
金四郎自身は袖がめくれるのをひどく気にしていたよう
で、素肌を見せることもなかった。
彫り物を若気の至りと恥じていたのではなかろうか.?