日本で高い人気を誇ったレスラーと言えば、ハルク・ホーガンが
いる。
いる。
よく私と彼を比較して語る人がいる。
「ホーガンは、パフォーマーとしては優れているが、フットボー
ル経験のあるハンセン・ブロディに比べると、運動量が一枚落ち
る。
その例として、ハンセンとブロディはドロップキックをやったが
ホーガンにドロップキックはできない」
だが、レスラーとしての力はそれだけの比較では足りない。
ホーガンも、ビルダータイプのアスリートとしては素晴らしい能
力を持っていた。
ジムへ行って、ウエートを上げたりする筋力などについては、私
より彼の方がはるかに優れている。
ただ、ブロディや私は、ウエートとかではなく、ナチュラルとい
うか、フットボールという実戦によって身につけた力で勝負して
いた。
つまり、動ける筋肉ということだ。
ホーガンとは、新日時代にとても仲が良く、ツアーを回るときは
いつも一緒だった。
その後ホーガンはWWF(当時)に入ると、世界王者に就き、ア
メリカン・プロレス界の顔的なレスラーとなり、「リアル・アメ
リカン」と呼ばれ、プロレス業界を超え、アメリカ国民に知られ
る存在になった。
知らない人が多いだろうが、実はホーガンはなかなかの苦労人な
のだ。
人気者になってからのゴージャスなイメージとは異なり、グリー
ンボーイ時代は、住むところがなくて車の中で生活していたほど
だった。
もともと彼はロックバンドのベーシストで、プロスポーツの経験
はなかった。
プロレスラーの養成ジムに入ったものの、レスラーになるのを諦
めさせるため、ヒロ・マツダに足を折られたこともあったらしい。
ホーガンと久々に再開したのは、1990年、東京ドームで開催
された「日米レスリングサミット」だった。
日本の団体の代表として、メーンで対決することになったのだ。
5万人近いファンの前で、ホーガンとメーンを務められたのだか
ら、誰よりも恵まれていたと言えるだろう。
試合後、WWF代表のビンス・マクマホン・ジュニアから、
「日本のツアーが終わったら、ぜひWWFに戻ってきてくれ」
という誘いがあったが、全日本に移ったときから、他団体のリン
グに上がるという気持ちはさらさらなかった。
全日本のキャリアだけで、自分にとっては十分であり、それ以外
のものを求めようとも思わなかったからだ。