▶「佐々井秀麗、インドに笑う」レビュー5・国外退去命令・ササイ逮捕 | ぐーすけとりきのブログ

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かつて、のたうち回って人に迷惑ばかりかけていた男が、ここま
で変わることができるのか。

佐々井さんは、この国の貧しい人々にはなくてはならない存在と
して、その名が轟きはじめていた。

「人間失格が野良犬ノラクロに、そして今度は清水の次郎長だ。
佐々井の命令なら命も差し出すと志願する子分が増えてな。電話
1本かければ、どっと人が集まるんだ」

そんな破竹の勢いの佐々井さんにもひとつだけ弱点があった。そ
れはインド滞在のビザがとっくに切れていることだ。

親を亡くし、泣くしか生きる術を知らない赤ちゃんの様な仏教徒
たちが、佐々井さんのおかげで、なんとかハイハイが出来るくら
いまでには育ったのである。インド仏教復興までの道のりはまだ
まだ長い。こんなところで彼らをほったらかして、佐々井さんは
帰るに帰れなかった。

「もちろん、国籍取得のための嘆願書は何年も前から出していた
んだが、俺の人気を妬まし思う僧侶グループやヒンドゥーの過激
派のやつらが暗躍し、妨害していたんだ」

「人気絶頂で向かうところ敵なしに見えて、佐々井さん、実は敵
だらけだったんですね」

何度も国外退去命令は出ていたが、佐々井さんは踏ん張った。し
かし、ついに1987年、佐々井さんの元に警官がやって来て連
行されてしまう。このまま強制退去となれば、二度とインドに足
を踏み入れることができないかもしれない。

俺も、もはやここまでか。佐々井さんはカビ臭い独房の壁にもた
れかかり、がっくりうなだれた。

とかろが、思いもよらないことが起きた。「ササイ逮捕!」の一
報は瞬く間にナグプール中に広がり、まだ幼子で頼りないと思っ
ていたインド仏教徒たちが、「今度は俺たちが親分、ササイを守
る番だ!」と立ち上がったのである。

あっという間に50~60人ほどの仏教徒が警察署に乗り込み、
猛抗議すると、「このままでは暴動が起きる」と驚いた警察が佐
々井さんを釈放。その翌々日、地元紙のナグプールタイムズが一
面にでかでかとその様子を記事にして掲載した。

弁護士たちもスクラムを組んで大抗議を始めた。「ササイに国籍
を取らせよう」と仏教徒たちはデモ行進や10万人規模の抗議集
会を開催。そして市民が手分けして署名活動を行い、デリーに陳
情団を送り込むことに決定した。

佐々井さんは、いつの間にか宗教・宗派を越え、ナグプール市民
にとってなくてはならない人になっていた。わずか一か月で60
万人の署名が集まると、1000人を超える人がナグプールから
デリーに陳情に向かった。ナグプールだけではない、インド各地
から陳情の人が次々とデリーを目指して集結。その様子は全国紙
でも大々的に伝えられることになった。

「あと一歩で憎っくきササイを追い出せる!」と息巻いていた反
佐々井派グループは、本当にがっかりしたに違いない。首都のデ
リーにいる国会議員たちは、ナグプールにいるという、お金もな
くボロボロの衣を纏ったササイというへんてこりんな日本人僧の
熱狂的な人気に首を傾げた。

しかし、署名はどんどん運ばれてくる。

山積みになる紙の束に、1987年の年末、ついに当時の首相、
ラジヴ・ガンジーが国籍を与えることを決断。

上京した佐々井さんを首相が祝福して出迎え、「アーリア・ナー
ガルジュナ」とインド名をつけてくれた。サンスクリット語で「
聖龍樹」という意味だ。

ナグプールに帰るとまたもや数十万人の市民が出迎え、佐々井さ
んを車に乗せて大パレードだ。

ちぎれんばかりに手を振る宗派や宗教を超えた市民に、とめどな
く流れる涙を拭うこともなく、頭を下げる佐々井さん。

これほど大規模な外国人の国籍取得運動はインド史上、他に例が
ない。

証明書の授与式が行われたのは、その翌年の1988年4月。

インド人、佐々井秀麗が誕生した。インドに来てから22年目の
大快挙であった。