1997年8月、ロンドンのウェンブリーススタジアムで『S
ONGS&VISIONS』というコンサートが行われた。エル
ヴィス・プレスリーの没後20年を記念したものだ。
ONGS&VISIONS』というコンサートが行われた。エル
ヴィス・プレスリーの没後20年を記念したものだ。
メンバーがすごい。ロッド・スチュワートにジョン・ボンジョビ
ロバートパーマー……。この矢沢にも出演依頼が来た。コンサー
トをワールドワイドなものにするため、矢沢はアジア代表だ。
だけど、実際に行ってみると、オレへの扱いはひどかった。
たとえばロッド・スチュワートがリハーサルを10時間やれたと
する。ロッドが10時間なら、矢沢がもらった時間はいいとこ3
0分か40分だ。延々待たされた。日本のスーパースター、矢沢
もクソもない。日本のロックのボス、矢沢。しかし、世界の壁。
そのときオレはみんなに言った。「悔しい」って。「世界のロッ
クっていうのは、日本と2ランクも3ランクも歴史が違う。悔し
い」って言った。
オレはドキュメントを撮っていたNHKの編集者に言った。
「頼むから、『矢沢はすごかった』とか『矢沢は世界の一員にな
れた』というトーンでつくらないでくれ。現実をちゃんと映像に
しろ。そういう編集をしてくれ」
それが現実なんだ。世界の壁はまだまだ厚いんだ。オレは悔しか
った。
やっとオレの番が来た。
歌ったのは『ドント・ビー・クルーエル』。プレスリーの曲だ。
オレは開き直った。30分の待ち時間しかないけど、だったら思
ってることを言ってやろうと思った。
「セカンドバースはこうやって、ああ、そっちはこうして」
それを見て、向こうのミュージシャンやスタッフは驚いてた。
「日本のアーティストとは何人か一緒にやったけど、こうやって
直接自分の気持ちをフェイストゥフェイスで指示したヤツは滅多
にいない。ヒー・イズ・グレイト!」
こんな声が聞こえた。
一日目のリハーサルのときは、音が悪くて、モニターが飛んだり、
そんなトラブルばっかりだった。
ボンジョビやロッド・スチュワートを見て、オレは悔しかった。
彼らには世界の貫禄がある。なんで日本は言葉も占領されなかっ
たんだ!そう思いたくなるぐらい、言葉の壁には泣かされた。
オレが英語ペラペラだったら、絶対に日本のロックの歴史を変え
てるなと思った。
次の日の本番、モニターはばっちりだった。オレは『ドント・ビ
ー・クルーエル』をきめた。最高のステージをやった。ロッド
もびっくりしていた。オレの声はよく出ていた。
もびっくりしていた。オレの声はよく出ていた。
「矢沢、一番かっこよかったよ」とある人が言った。
今度は、『ハートブレイク・ホテル』だ。ロッドに、スティーブ
ウィンウッドに、ジョン・ボンジョビにロバート・パーマーに
矢沢の5人。
オレが一番最後を歌って、すっと後ろに退いた。あとは、コーラ
スパートでみんなと一緒に歌ってた。
するとロッドが前で、「ヤザワ、来い」と言う。
それまで延々ロッドはオレをシカトしてた「「ヤザワ?フー?
東洋から来た誰?」みたいな感じだった。
それがオレの『ドント・ビー・クルーエル』を聴いて、ロッドは
素直に思ったんじゃないのかな。かっこいいって。
「me?」
オレは思わず聞き返した。7万人がうぁーってやってるときだ。
「おまえだ」っていうから、「来い」て言うから、「OK」とオ
レは言った。
オレは歌いながら、ロッド・スチュワートのそばに行った。する
と今度はボンジョビが逆側からわーと来た。とボンジョビとロッ
ドと、ステージの中央で一緒にやった。
すべてが自然の流れだった。あれが良かった。
最初はみんな「フー・イズ・ヤザワ?」誰も知らない。知らない。
だけど、終わると「オウ、ヒー・イズ・グレイト!」
終わってすぐに女房に電話入れた。
「最高だった」
そう言ったら、めずらしく女房は泣いた。電話の向こうで泣いて
た。