ヒクソンが目指していたのは、いかにグレイシー柔術が実用的で、い
かに強いかを世界に向けて発信していくことだった、それは「彼」と
いうより、グレイシー家に生まれた者の宿命であり悲願でもあった。
一家の長男ホリオン・グレイシーがアメリカでUFCを立ち上げたの
も、根底に同じ思いがあったからに他ならない。
ただ、創立まもないバーリ・トゥード・ジャパンを2連覇しても、
ヒクソンの身の回りに大きな変化は起きなかった。確かに知名度は
高まった。格闘技系の雑誌から取材されることも増えた。しかし、
ほとんどの日本人は彼の顔と名前を知らず、新聞やテレビが大会を
大きく取り上げることもなかった。
MMAの世界では、すでにカリスマ的な存在だったヒクソンである。
それは日本に来てから獲得した立場ではない。1987年、兄ホリ
オンに誘われてアメリカに渡った時点で、彼はもう知る人ぞ知る存在
だった。
だが、彼が求めていたのは「誰もが知っている」という立場だった。
期待に胸を膨らませてブラジルから北半球へと渡ったヒクソンだった
が、当時の彼は全くと言っていいほど英語が話せなかった。となれば
兄でもあり英語が達者なホリオンに寄り掛からざるをえず、両者の
間には期せずして、“圧倒的な縦の関係”が生まれた。
「わたしにとってのいいリーダーとは、愛情を持って下のものに接す
る人間で、独裁者とは力を持ってねじ伏せる人間なんだが、残念なこ
とに、ホリオンはいいリーダーではなく独裁者だった。わたしだけ
でなく、ホイラー、ヘンゾ、ジャン、ジャックをはじめとするマチャ
ド兄弟──すべてホリオンが呼んだものだけれど、我々は彼の奴隷じ
ゃない。いつ頃からだったか、彼にたいする不満は募るばかりになっ
ていたんだ」
ホリオンがアメリカ人のビジネスパートナーとともに第一回のUFC
を立ち上げたことで、ヒクソンの立場はさらに弱いものとなった。
独裁者は、ついに戦いの舞台をも手中に収めた。その舞台は1993
年当時、柔術家が高額の報酬を得ることができる唯一の舞台でもあっ
た。
しかも、そこで勝ったのはヒクソンではなく弟のホイスだった。
「ホイスは一族の中でも決して強い方ではなかったから、いい経験
になるだろうということでエントリーさせたんだ。ところが、そこ
で優勝してしまった。それからのホイスは明らかに増長してしまっ
たし、ホリオンからすると、ホイスで勝てるのであれば何かと楯突く
わたしを使う必要はない。はっきり言えば、ホリオンはホイスで金
儲けをしようと動き始め、わたしにはいつチャンスが回ってくるか
わからない状況になっていた」
ただ、ヒクソンとホリオンの関係をいよいよ悪化させたのがホイス
の優勝だったとしたら、ヒクソンに新しい道をもたらしたのもホイス
の優勝だった。
「兄のヒクソンはわたしの10倍強い、というホイスの言葉に興味を
持った人が何人かいて、そのうちの一人が佐山聡さんだった。バーリ
・トゥード・ジャパンという大会を開催するから出場してくれないか。
そういうオファーを出してくれた」
「バーリ・トゥード・ジャパンとの契約が最終段階に入った時、ホリ
オンが電話をしてきたんだ。日本に行くらしいが、それはやめろって
ね。UFCはファミリービジネスなんだから、そこのライバルになり
かねないところで戦うなどもってのほかだと」
当然、ヒクソンはやり返した。
「わたしはずっとあなたのビジネスを手伝ってきているが、儲けてい
るのはあなただけで、こちらには何も返ってこないじゃないか。そう
行ったよ。わたしにはわたしの生活がある。日本ではこれだけの額を
用意してくれて、優勝すればさらにボーナスも出すと言っている。
そこへ行くなというのであれば、せめてUFCがその半分の額でも
用意してくれ。そうしたら、わたしは行かないよって」
しばしの沈黙の後、電話の相手は言った。
「勝手にしろ」
だが、兄は妨害を諦めたわけではなかった。
「ヒクソンが日本に行くらしいが、彼についていってサポートしたや
つはUFCから追放する。そう宣言したんだよ。これはさすがに効果
があった。みんなホリオンのやり方に腹を据えかねていたけれど、
戦いの舞台を用意できるのは彼だけだったのも事実だから。それでも
ホイラーだけは言ってくれたんだ。「ヒクソンは俺の兄貴だし、俺に
柔術を教えてくれたのもヒクソンだ。誰が何と言おうと、俺はヒクソ
ンをサポートする」ってね。結局、一緒に日本へ来てくれたのはホイ
ラーだけだった」
ヒクソンの弟であり、彼に柔術を教わったという点では、ホイラーの
一歳下の弟となるホイスにも同じことが当てはまったが、こちらは
「ごめんなさい、行きたいけど行けません」という電話を入れてきた。
ところが、これほどまでにヒクソンの日本行きを阻もうとしたホリ
オンは、バーリ・トゥード・ジャパンでの結果を受けて手のひらを返
す。
「おめでとう、お前のマネージャーにならせてくれって電話があった。
もちろん断ったし、あなたとはビジネス面では二度と関わりたくない
とも言った。以来、彼とはそれっきりだ」
この一件は、ヒクソンにとってはたとえ兄弟といえども金や名声が
絡むと無条件には信用できなくなる、という苦い教訓になった。以後
彼は神経質なまでに契約書にこだわり、ほんのわずかでもそこから
逸脱しそうになると過敏な反応を見せるようになる。
ともあれ、兄弟の間に入った亀裂はもはや修復不可能なレベルにまで
広がった。それでも、バーリ・トゥード・ジャパンで戦わないのであ
れば、ヒクソンに残された選択肢はUFCしかない。
そんな状況で、榊原信行は新しい提案をテーブルに載せてきたのであ
る。