コペル君こと本田潤一は叔父さんとともに、銀座のデパートの
屋上で、下の世界を見ていた。
車の車列や、人の行き違いを見ていると、まるで人間というも
のが、いつでも自分が中心として、ものを見たり考えたりする
ように感じられたのだ。
コペルニクスが地動説を唱えるまで、昔の人はみんな、太陽や
星が地球の周りをまわっていると、目で見たままに信じていた。
ところが、コペルニクスは、それではどうしても説明のつかない
天文学上の事実に出会って、いろいろ頭を悩ました末、思い切っ
て、地球の方が太陽の周りを回っていると考えてみた。
そう考えてみると、今まで説明のつかなかった、いろいろのこと
が、きれいな法則で説明できるようになった。
しかし、この説が唱え始められた当時は、どうして、どうして
大変な騒ぎだった。
教会の威張っている頃だったから、教会で教えていることをひっ
くり返すこの学説は、危険思想と考えられて、この学説に味方す
る学者が牢屋に入れられたり、その書物も焼かれたり、さんざん
な迫害を受けた。
コペルニクスのように、自分たちの地球が広い宇宙の中の天体の
一つとして、その中を動いていると考えるか、それとも、自分たち
の地球が宇宙の中心にどっかり座り込んでいると考えるか、この
二つの考え方というものは、実は、天文学ばかりの事ではない。
世の中や人生とかを考えるときにも、やっぱりついてまわること
なのだ。
子供のうちはどんな人でも、地動説ではなく、天動説のような考え
方をしている。
子供の知識を観察してみたまえ。
みんな、自分を中心としてまとめあげられている。
電車通りはうちの門から左の方に行ったところ、ポストは右の方
にいったところにあって、八百屋さんはその角を曲がったところ
にある。
静子さんのうちは、うちのお向かいで、三ちゃんところはお隣だ。
こういうふうに、自分のうちを中心にしていろいろなものがある
ような考え方をしている。
それが、大人になると、多かれ少なかれ、地動説のような考え方
になってくる。
広い世間というものを先にして、その上で、いろいろな物事や、
人を理解してゆくんだ。
場所は、もう何県何町といえば自分の家から見当をつけなくても
わかるし、人も、何々銀行の頭取だとか何々中学校の校長さんだ
とかいえば、それでお互いがわかるようになっている。
しかし、大人になるとこういう考え方をするというのは、実は
ごく大体のことにすぎない。
人間がとかく自分を中心として、物事を考えたり、判断するとい
う性質は、大人の間にもまだまだ根深く残っている。
いや、君が大人になるとわかるけれど、こういう自分中心の考え
方を抜けきっているという人は、広い世の中でも、実にまれなのだ。
ことに損得に関わることになると、自分を離れて正しく判断して
ゆくということは、非常に難しいことで、コペルニクス風の考え
方の出来る人は、非常に偉い人といっていい。
大概の人が、手前勝手な考え方におちいって、ものの真相がわか
らなくなり、自分に都合の良いことだけを見てゆこうとするもの
なんだ。
だから、今日、君がしみじみと、自分を広い広い世の中の一分子
だと感じたということは、本当に大きなことだと、僕は思う。
僕は、君の心の中に今日の経験が深く痕(あと)を残してくれる
ことをひそかに願っている。
今日君が感じたこと、今日君が考えた考え方は、どうしてなかなか
深い意味をもっているのだ。
それは、天動説から地動説に変わったようなものなのだから。
云々…
叔父さんは、この日の経験を忘れさせないために、潤一君をつか
まえて「コペルニクス君」と呼ぶようにしたのだ。
それがいつの間にか詰まって「コペル君」となってしまったのだった。
こういうふうに、コペル君が、自分の周りで起こったことに対して
感想なり考え方なりを、叔父さんに話す。
叔父さんは、少年に対するというよりも、一個の人格としてコペル
君に接し、わかりやすい言葉で、コペル君を啓蒙する。
これに似た経験が、ぐーすけにもある。
小学校5~6年の頃。
先生に、今日起こったこととか何かについて感じたことを日記に
して、提出する、という行事があった。
どれだけ、皆が真面目に提出していたかは知らないが、ぐーすけは
なんとか筆不精ながら、あるときは3日おきになりながら、提出
していた。
「天下泰平あっぱれじゃ」と記したこともあった。
先生も先生で、ちゃんと読んでくれ、感想を書いてくれた。
オレが、こうして舌足らずになりながらも、文章が書けるのは
そのときのY本先生のおかげなのである。
自分中心の考え方から、宇宙の大きな真理を知るためには、高い
ハードルがあるのだ。
オレも、まだまだこれからだ。