新しいビールの開発で最も重要なのは味と香りだが、
これを決めるのは人間の舌と鼻。
舌と鼻を使って品質管理のために行う試飲を「官能
検査」といい、人間の味覚と嗅覚が最も敏感になる
昼の11時と3時に行われる。
伝統的なその試飲の方法は、「空きっ腹で飲み、食
パンで苦味を消して次のビールに挑む」というもの
だった。
昭和61年、「アサヒビール」は人間の舌と鼻を信
じ、消費者5000人の嗜好・味覚調査を実施。
コクとキレを併せ持つ「アサヒ生ビール」を開発し
この新商品で「100万人試飲キャンペーン」を展
開する。
そしてこの翌年、さらにキレがよくドライなビール
が生まれる。
“ドライ戦争”という言葉まで生んだ「アサヒスー
パードライ」はこうして生まれたのだった。
明治の半ばは日本のビール事業の興隆期で、全国に
100を超すビール会社が生まれた。
明治39年には、アサヒビールの前身である「大阪
麦酒」と、サッポロビールを売り出していた「札幌
麦酒」、それにエビスビールの「日本麦酒」の3社
が合同して「大日本麦酒」が誕生した。
その後、昭和24年に過度経済力集中排除法により、
「朝日麦酒(現:アサヒビール)」と「日本麦酒(
現:サッポロビール)」に分割されて今日に至って
いる。
翌年に発売された「アサヒビール」の名前にまつわ
るいわれは2つある。
1つは、日本人の力で純国産ビールの製造を目指す、
という創業精神からの命名で、「日出ずる国、日本
のビール」という説である。
「波濤の向こうに昇る朝日」のマークはそれを表現
したものである。
もう1つは、会社設立準備室の役割を果たした「旭
館」という建物からの命名説。
同社の創業者である、堺の銘酒「春駒」の蔵元だった
鳥井駒吉らが、旧堺港近くにあった旭橋のたもとに、
旭館という倶楽部を建て、これがブランド名になった
という説である。
ちなみに当時の広告ではアサヒビールは「朝日」と
「旭」と2通りの当て字が使われているが、鳥井は
「旭」にこだわりつづけたと伝えられている。
現社名に改称されたのは、創業100周年を迎えた
昭和64年。
朝日麦酒としてスタートしてから40年目の年だった。