■9 新大久保が韓流タウンになるまでのいきさつ | ぐーすけとりきのブログ

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JR山手線の新大久保界隈は一大コリアンタウンだ
が、実は大正時代から太平洋戦争終結までは、ここ
にある百人町は東京有数の高級住宅地だった。


華族や政財界の要人の大邸宅が並んでいたが、東京
大空襲で街のほぼ全域が焼け野原となったのである。


戦後はバラック小屋が並ぶ地域だったが、1950
年にロッテ新宿工場の操業が始まると工場に勤める
韓国人が集まるようになったという。


さらに、1980年代後半からは歌舞伎町で働く外国
人女性も新大久保エリアに住みはじめ、彼女たちを
対象とした韓国系の店が増えてきて、これが現在の
コリアンタウンの原型となったのだ。