■5 手塚治虫~誰がマンガ界のNo.1か? | ぐーすけとりきのブログ

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手塚がすべてのマンガ家をライバル視していたことは、つと
に有名だ。


そこが彼を天才たらしめたゆえんだろう。


出てくる新人たちをつねに意識していた。


「どろろ」は、当時「ゲゲゲの鬼太郎」などの妖怪マンガ
で人気を博していた水木しげるを意識して描かれたものだ。


ほかのマンガ家をライバル視するようになったのは、マンガ
を描き始めた中学1年のころまでさかのぼる。


当時、手塚は弟、妹と3人で仲良くマンガを描いていた。


が、手塚は弟や妹が描くことに「やきもち」をやいていたと
いう。


とくに弟の浩に対するライバル意識は強かった。


浩が部屋にカギをかけてマンガを描いていると、手塚は
「中で宏がマンガを描いている」と気が気でない。


弟が部屋を出たあと、何を描いているのか作品を見ようと
したら、見当たらない。


ようやく本の間に隠されたマンガを見つけ出すと、その上
から落書きをしてメチャクチャにしてしまった。


それ以来、浩はマンガを描かなくなったという。


漫画に関しては自分がナンバーワンでなければ気がすまない、
という気概は大御所になっても続いた。


アシスタントを務め、のちに独立した石坂啓の目撃談を紹介
しよう。


手塚主催のパーティーに若手マンガ家が集まった。


そのとき売り出し中の大友克洋も顔を見せていた。


手塚は大友に話しかけ、


「ぼくはあなたの絵、見ました。
虫メガネで見たけど、それでもデッサンが狂ってませんね。
スゴイですね」


と褒め上げたあと、


「でもぼくね、あの絵描けるんですよ」


とライバル心をむき出しにしたという。(「1億人の手塚
治虫」JICC出版より)


ナンバーワンの自負心は、手塚を「神様」に押し上げる
原動力にもなったが、その一方で自らを追い詰める結果と
もなった。


1950年代の終わり頃、マンガ界には「劇画」ブームが
巻き起こった。


手塚は「オレの絵は古いのか?」と悩んだ。


大御所としての地位を築いたのだから我が道をいけばいいの
にと周囲は考えるが、天才は妥協を許さない。


アシスタントに「はっきりいって手塚先生のマンガは面白く
ありません」と否定されたときは、胸をかきむしって部屋を
転げ回ったそうだ。


壁にぶちあたって苦悩することは、マンガ家人生の中で何度
も訪れる。


しかし手塚は、そのつど不死鳥のごとく再びたち上がった
のである。