宮本武蔵の伝記といわれる「二天記」は、佐々木小次郎との
巌流島の決闘や、足利将軍家の武道指南役だった吉岡拳法
一門との対決、一乗寺下り末の対決を大々的に取り上げてい
るが、どうもデマ臭い。
一乗寺下り松の対決で、その当主と主だった門弟たちが
武蔵に打ち取られて断絶したと伝えられているが、吉岡
家の伝記である「吉岡記」では、そんな記録はどこに
もなく、武蔵に敗れて剃髪したはずの吉岡清十郎や斬り
殺された伝七郎が、決闘から10年後の慶長19年(1
614年)、大坂の陣に豊臣方へ加わり、大阪城に入城
した記録が残っている。
さらに、大阪方が徳川家康に滅ぼされた後は、京都に
戻って染物屋を営んで天寿をまっとうしたとも記され
ている。
どうやら一乗寺下り松の武蔵と吉岡一門との対決は、
武蔵びいきの後世の作者が作り上げた幻の対決とい
えそうだ。