豊臣秀吉の女好きは有名だ。
「猿」と呼ばれたように美男子ではなかったから、
若い頃はもてなかった。
そこで権力を得てからは手当たり次第ということ
になったらしい。
低い身分から成り上がったせいか、名家の娘や
以前自分の主だった者の娘を好んで側室に迎えた。
当時、日本に滞在していたポルトガルの宣教師の
ルイス・フロイスは日記に「秀吉は正室の他に
300人近くの妾をはべらせて情欲を満たして
いる」と書いている。
300人はオーバーな表現であろうが、秀吉が
各地で女狩りをさせていたのは事実らしい。
「房事過度」(セックスのヤリスギ)から急激に
体力を消耗していったのも各種の記録が認めて
いる。
直接の死因はがんという説もあるが、セックス過剰
で体力が衰えて死に至った可能性も否定できない。
ちなみに秀吉には、正妻の北政所のほか、淀君、
松の丸殿、姫路殿、三の丸殿、加賀殿など5人
の側室がいた。